2019年11月11日月曜日

幽霊からの接触

誰もいない部屋で繰り返し独り言を唱えている。イギリスやインドに住んで思ったことは、どこにいても自分の行動範囲と興味の範疇は狭く、私は必要がない限り外出を避けるということだ。偉そうに宣言できたことではないが、どちらにしろ、どこにいても、私は部屋にこもりがちだ。そして何年か十数年か前の思い出を、繰り返し、目の前に存在しない人々に向けて喋り続けている。目的は特にない。頭がおかしいとも思わない。他に特に娯楽がないし、そうしていると気が紛れるし、言いたいことが言えて楽しい。それだけだ。相手の反応を気にする必要もないし、話しすぎて相手の拘束時間を気にする必要もない。ただ何も考えず、自分の思う通りに振るまえるからだ。ということは、普段の私は、思い通りの生活を送っていないのだろうか。

一ヶ月に一回くらいの頻度でメンタルブレークダウンというのか、精神的に落ち込む時が来る。ここで変な横文字を混ぜてしまうのは、ちょうどいい日本語がだんだん分からなくなってきているからだ。精神的な不調というほど深刻でもなく、落ち込みというほど頻度の高いものでもない、ただ本当にメンタルがブレークダウンして働かなくなる感じがある。でも私の英語の発音はなかなかひどいので、横文字混じりにしか喋れなくなっている自分はなかなか可哀想ではある。

ツイッターをやっているのだが、そこで私が書いたことを、私の好きな人が見つけて読んでくれたら良いなといつも思っている。だけどその人は私の書き込みをそもそも見つけるはずもなく、私もその相手に直接的にコンタクトを取る勇気がない。だって、嫌われたり、疎まれたりするのが怖いから。その人にとっての私は過去の幽霊みたいなもので、過去のほんの一時期に接触のあった相手から、繰り返し繰り返し接触の要請と要求の暗示のようなものが来たら怖いだろうから、幽霊の私は大人しく相手が来るのを待っている。でも多分、来ないんだな。私が惹かれる人は、いつも私を好きにならない。そして私はいつも、私を大事にしてくれる人と一緒にいる。

ムンバイのThe National Museum of Indian Cinemaから見えた何か豪華なマンション

2019年8月25日日曜日

苦しみの行方

自分の中にいくつも顔があることが分かった。それは主に社会性を持った自分と持たない自分とに分類され、社会性の薄い自分がこの文章を書いている。社会性の薄い自分は死にたい自分、生きている意味が見出せない自分、何もかも面倒くさい自分、今すぐ落ちて死んでしまいたい自分である。同時に、昼間に外に出て働いている社会性のある自分もいる。そっちの自分は相変わらず周囲からマイペース呼ばわりされるものの、それなりに常識をわきまえ、それなりに社会生活に溶け込み、それなりにまあまあの暮らしを保っている。死なないように、投げやりにならないように、破産しないように、大怪我や障害を負わないように、それなりに気をつけて五体満足で健康体でいられるように生活している。そういう自分と、もう一人の自分との、バランスが取れない。というか、子供の頃から取れた試しがない。躁鬱病とかそういう大げさなものでなく、単に、人といたい自分といたくない自分、生きたい自分と生きたくない自分が交互に出てきて入れ替わっていく。自分でそれをある程度コントロールできるものの、そもそも、なぜコントロールしなくてはいけないのか? と考えると、それはやっぱり社会性のある自分の日常生活のためにまともなふりをする必要があるからで、私は見知らぬ男と行きずりで寝て病気の心配をしたり盗撮や不品行に対する恐喝と強請りの心配をしたくないからだ。

同時に、いまだにピアスを入れたかったり刺青を入れたかったりする自分がいる。いまだにカッターを手首にめり込ませたい自分がいる。それは実生活ではまったく有効に働かないと、大人になってまともに働いている社会性のある自分が知っているからやらないのだ。そして私がそういった戯言をいじくっていられるのも、本当に生死の心配がないから言えるのだと、ギリギリの生活をしている人がいる現状を見てそう思う。本当に切羽詰まっていたら、このようなどうでも良いことは考えられないだろうな、と思う。

私は死にたい。いえ、私は、自分の人生が、つまらないということを知った。私は、自分が、つまらなくて愚かで主人公たる資格がないことを知った。けれども私は、私の恋人といる時は主人公なのである。私たちは、愚かな私たちの物語の中のみっともない主人公として、だけどそれなりに幸せだ。そして虚しい。この虚しさの、対処法が、分からない。とりあえずキム・ギドクの映画を見て、向井秀徳の音楽を聴いて、その場限りの性的少女を気取って、そして寝床に入る時、現実に引き戻される。何が、性的少女か。歳を考えろ。自分を直視しろ。ばかやろう。そういう言葉が頭の中に降って湧き、もう何も考えないと唱える。そうだ、私がブログを書くのを辞めたのは、結局私の言葉が、ここ十年もずっと変わらず同じだからだった。私は歳をとった。しかし同等の進歩はない。歳をとることは悪くない。ただ、自分の苦しさにどんどん鈍くなっていく。わざわざ湖の底を覗き込まなくとも、苦しいことはそここに転がっているようになった。だから自分の中を覗かない。何も考えないことにする。救いは相変わらずない。ただここ何年かで分かったのは、苦しんでいるのは私だけではなく、救いがないのも、私だけではないということ。みんな、苦しんでいた。

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下書きにしていたものを複数公開したので、興味のある方は、さかのぼって読んでください。

2019年4月1日月曜日

自分と、同じくらい、傷ついている人

ほぼ一年間も放置していた。もっと頻繁に更新していると思ったが、していなかった。
4、5年ぶりに働き始めた。そこで、とても惹かれる人に出会った。どうして惹かれるのか分からないが、色々考えると、好みということに尽きるのではないか。顔や、佇まいや、雰囲気や、服装や、その人の持っているおそらく自然の体臭や、話し方や、ペンの持ち方、ジャケットの選び方など、何をとっても好ましく、しかも自分と共通項が多かった。日本の同じ大学を卒業し、その後イギリスの大学院にいたこと、映画が好きなこと、その人も、少しばかりインド映画を見ること。ただ大きな違いは、向こうはもう心に決めた人がいて私など眼中になく、私は私で、将来を一緒に過ごしたいと言ってくれる人がいることだった。だから何の進展もない。残念ながら、なのか、それで良かった、なのか、分からないが、何も関わることはなかった。そしてその人は会社を辞めてしまった。どこに行ったのかも知らない。

ただ悲しかった。その人が会社を辞めた日、私はインドで新しい仕事があり、非常に体調が悪かった。加えて恋人の家族に悪いことが起こり、とても追い詰められていた。非常に追い詰められていた。どうすれば良いか分からなかった。どうすれば良いのか、どうしたいのか、分からなかった。ただ一つ思ったのは、恋人には映画の話は通用しないし、恋人に対してその人ほど好ましく思ったことがない、ということだった。恋人は一途に一筋に私を好きでいてくれる。でもそれだけだ。それが世の中でどれほど得難いことなのか自分でもよく分かっているつもりだが、でもそれだけだ。私が好きとか好ましいとか思っているわけではなく、ただ好かれ、思われ、大事にされている。それだけだ。