2013年3月25日月曜日

Hello, this is inu speaking.


 インドに行った。楽しかった。詳細は書かない。

 インドに行った。最後、へべれけに調子をくずした。頭痛発熱嘔気しびれ過呼吸下痢筋肉痛がいっぺんに来てインドの病院へ行き、空港では車椅子をだされ初の優先搭乗で飛行機に乗った。しこたま、というほどでもないが、吐いた。私は吐く時に獣が吠えるような音がする。胃の内容物が食道を這い上がるときに、ぴったりと閉じられているその場所を押し拡げていくときに出る音が、獣の吠えるような音なのだ。あれが、ものすごく、苦しい。あれさえなければ、もっと楽に吐けるのに。恐らく人より具合が悪くなることが多いので、そういうとき、寝床で、コンクリート打ちっぱなしの天井を見ながら考える。吐くのは、病気だから致し方ない。そうであれば、もっと楽に吐けないものかと。

 人の吐く所を見たことがあるが、みんな私のような獣のような音はあげていなかった。あれは何が違うのか。よく分からない。

 インドで考えたことは、「フラッシュバックメモリーズ」を早く見なくては、ということだった。なぜか分からないが、しかも知り合いでもなくただのファンであるのに、松江さんのことを思い出した。3月に、私が行かれなかった、しかもギドクが来た、別府での韓国映画祭のことなどもうっすらと思い出しては忘れた。とてもハードスケジュールで、ほとんど毎日寝不足でふらふらしていたので、いろいろな思いが浮かんでは消えた、という手あかのついた表現でお茶を濁してみる。

 帰国後、インドで知り合いになった人とチャットをしてみている。その人はとても有能なので5カ国語くらい喋ることができる。いま私を通じて日本語を勉強中で、私はその人を通じて英語を教えてもらっている。しかし、私が何かを書くたびに、say it...と訂正が入るので、なかなか手厳しい。だけどその人はとても真っすぐな、日本ではお目にかかれそうもないほど真っすぐな人なので、私はその人をとても尊敬している。だって、いまどき正しさに重きを置いている日本人がどこにいるのだろうか。私が知らぬだけで当然ある一定数はいるのであろうが、しかし正しいこと、正しくあること、それを自分に課していること、そうして堂々と淡々としていること、そんな当たり前かも知れない態度が、典型的日和見主義な日本人であるところの私には、どうしようもなく眩しく見えた。あなたはすごいよ、何でもできる、と私が言うと、その人は、そうだ、私は何でもできる、と言う。私は、この人のことが、すごく好きだなあと思う。だけど、アウトカーストであり、現実的にそう頻繁にインドに行かれない私がその人に強い憧れと、尊敬心と、淡い恋心を抱いたところで、それ以上、現実的にも物理的にも発展しようがない。それが私をこの上なく安心させ、私はまた平気で、あなたって本当にすごい、と繰り返し書くのである。

 一時、性的不能の男との恋愛を夢見たことがある。今から考えてみると実に愚かであったが、その当時の私は、男性が愛情と性欲とを無自覚なままに混同し屹立させ擦りつけてくることが許せなかった。私はとても若くて潔癖だったのだと思う。だから、自分の周りの、自分の性欲に関して鈍すぎるおめでたい男たちと次から次へと関係を結んだ。私のことを好きと言ってくる男たちに対して、あなたと同等の存在は複数いるのだと告げた。男はそれでも引き続き私と寝る。それで真に鈍感で愚かであるところの私はようやく、男たちが「好きだ」という言葉とともに私に擦りつけてきたものが何であったのかを自分に知らしめることができた。そのときになってようやく、私は自分で男たちの言うことを納得することができた。この人たちは、やりたい、と素直に言えないのだ、と分かった。やりたい、と素直に示すことが、相手を不愉快にさせることであり、同時に自分の価値を低くさせることであるからして、やりたい、とは間違っても口にしない。あなたが好きです、と相手に好意がある風を装って、また自分でも無自覚のうちにそう思い込むことで、自分の性欲を相手にも、自分にも、肯定させるのだ。それが私が19歳の時に得た結論だった。私は死に損ない、そのあと恋人に出会い、そうして彼を手ひどく裏切り、また一人になった。

 私がくだんのインド人とチャットをしながら考えたことは、彼が私のこれまでの行いを知ったら何と思うだろうか、ということだった。つくづく、私は人に言えないことをしてきてしまったと、これまでの行いを後悔した。インドで倒れたとき、私は病院に運ばれ、点滴を受けた。その際、点滴の針を刺すから動かないようにと誰かが押さえていた私の右腕には、数えきれないほどの切り傷がある。それから、帰国後、病院に行って同じように採血を受け、点滴を受けた。そのとき、私は微妙な顔をして、おもむろに左腕を差し出した。看護士と思しき人に、「こっちの腕にしてください」と言った。看護士は当然のように笑顔を崩さなかった。真っ白い蛍光灯の規則的に並ぶ天井を眺めながら、私は、自分の愚かしさを改めて思った。