2012年12月25日火曜日

12月24日 「苦役列車」に乗る

 高田馬場の早稲田松竹にて「苦役列車」見る。クリスマスイブに名画座で一人で「苦役列車」なんて、きっと館内はガラガラで、同じく暇を持て余した映画好きの同士とともに静かにひっそりと個人的に映画を愉しめて、なかなか渋い良い選択じゃないかと一人で悦に入っていたが、チケット売り場に人が並んでいるのを見て面食らう。「苦役列車」「ヘルタースケルター」の二本立ては立ち見も出るほどに混んでいた。早稲田松竹は名画座の名に似つかわしくなく小綺麗で立派な映画館だった。

 どうせつまらないんだろうと思っていた「苦役列車」は、これが案外、とても良かった。もちろん私が原作者の西村賢太好きであり、主演俳優の森山未來好きであることで幾らか評価に下駄を履かせてしまっている感はあるが、期待していなかった分だけより面白かった。何よりも、直前のスタッフ名簿(というのか)で脚本がいまおかしんじさんであると知ったこと、顔は見るが名前が分からなかったAV男優さんが出ていたこと、家に帰ってから、その人の名前が花岡じったと言い、しかも在日朝鮮人二世であることが分かり、興味のあったことにさらに近づくことができた。単純に嬉しかった。鑑賞中、それぞれ一人で見に来ているらしい私の隣りの男女の鑑賞態度も良く、苛々させられなかったのもまた映画を見るのにとても助かった。

 この日はきっとすごく混雑しているであろうと、時間的な余裕がなかったこともあり我が心の聖地・新宿は素通りして地元の図書館のある駅で降りる。図書館の前にケーキ屋に寄りクリスマスケーキを買い求めるが、期待したいつものケーキは既に売り切れてしまったといい、この日のために用意したと思われる少し大きめのクリスマス仕様のケーキが三種類残っているばかり。今日、家にいる家族の人数に少し足りなかったのでとりあえず三つ求め、場所を移動して別なケーキ屋に行ってまた四つほど求め、手にずっしりと重い二箱のケーキを携えて図書館へ行き、予約していた本の受け取りと、年末年始の休みのために貸し出し期間が延びるであろうことを当て込んでいつもより多めの冊数を借りて帰る。写真は撮り忘れたので一個もない。

 帰路、むかし好きだった人のことをちくちくと思い出し、その人の動向をネットで追えてしまう現状を呪う。もう二度と会えない、もうどこにいるかも分からなければ潔く諦めることもできるのかも知れないが、名前や所属などで検索すれば今どこで何をしているかすぐと分かってしまう、またその相手が意図せずとも自らの現状と交友関係とを全世界に向けて発信しており、私のように執念深いネットストーカーはただその情報を拾い集めて相手の現在を割りに現実のそれに近い形で推測することができてしまう、その現状がありがたくもあり疎ましくもある。見えなければ、知らなければ思い出すこともないのに、見えてしまう、知ることが簡単にできてしまうので、気になってしまって仕方がない。だけれども深追いするのは危険だし、後戻りするのも嫌だし、何より根本的にこの問題は私の「寂しい」という素直で手に負えない感情に由来する、いつもの自己愛がねじれこじれ自分で自分の首を絞めている状態がもたらしているもので、それを解決しようと安易に見知らぬ他人の体温を求めるほど私は若くも純情でもない。

 家に帰ると丸焼きの鶏を父が買い求めていてびっくりし興奮する。さらに大きい机のうえに置いてあった「映画が愛したソウルのロケ地」という本を見つけ、これは何かと父に問うと、父の古い友人で先に私も箱根で挨拶をしたTさんの奥様が犬の散歩がてら届けてくれたのだと言う。Tさんは韓国で大学の先生をしている人で、私が自分の仕事のことも絡めながら、韓国映画が好きでいつか韓国に行きたいと思っている旨のことを箱根で話したとき、「君にぴったりの本があるからあげる」と言ってくれたのだった。これはそのときの口約束を忠実に果たしてくれて、今日、私の手許に届けられた。びっくりした。嬉しかった。今日一日の行動を振り返って手帳に書き付けていると、今日という日がそういえばクリスマスイブであることに思い至って、ああこれはクリスマスプレゼントなんだと思うとより一層うれしさが増した。お礼の連絡をしなければと思いながら先にネットの日記に書き付けてしまっている辺り私の無精な所が出てしまったが、しかしお礼をしなくては。

 東大門で工事が進められているザハの「デザイン・プラザ」は来年に完成すると聞いている。それも見たいし、何よりギドクの事務所まで行って韓国語で「私は日本のあなたのファンです。日本にはあなたのファンがたくさんいます」と言いたい。もちろんそれは非現実的な絵空事の理想の話だが、それくらいの気持ちが「アリラン」を見てから芽生えた。無理解に傷つき怒るただの繊細な人間かと思いきや、やたらと自己愛が強く自己評価の高い、自分が大好きで自分を受け入れてもらいたくて仕方がない、だけれども現状その欲求が通っていないからとてつもない不満足を覚えている、とても傷つき易い、しかも食べ物に例えるならばらっきょうみたいな顔貌をしている五十男が、私はやっぱり好きで好きでたまらない。

 現実世界で韓国の話をすると、やはり、どこか、白眼視されるような気がしているが、やっぱり建築にしろ映画にしろ面白いものは面白いのだ。そうして私は在日朝鮮人と呼ばれる人達に特別の興味がある。理由はよく分からないが、とにかく興味がある。だから今日、あの強面の体格のいい男優さんが花岡じったさんというお名前で、しかも在日であるということが分かって、とても気分が良い。

 気分が良いついでに来年のアピアの友川かずきライブも予約してしまった。映画を見たり旅行に行ったりするとお金がどんどん消えていくのだが、でもそうしなければ自分の内側に濁って動かない澱の中から聞こえる後悔と絶望のような声に抱きすくめられて本当に可笑しくなってしまう気がして、とにかく興味のある気持ちのいい方を目指して走っていきたい気分でいる。

2012年12月24日月曜日

私は失語症になった


 人と、話をする時、相手の望むように、反応している。それが普通だし、べつに何とも思わない。そういう人はたくさんいるのだろうし、多かれ少なかれ、きっとみんなそうなのだろうし、だから何とも思わない。

 人の顔を見るのが辛い時がある。それは、自分が相手の望むような顔を作れないから、相手が、私を見て、その目に心配の色を浮かべるのが分かるから、相手の心遣いや心配が、鬱陶しくしか思えないから、人と一緒にいるのが、辛い時がある。

 長らく日記から遠ざかっていたのは、自分が愚かであるとよく分かったことと、自分の愚かさをひけらかして周囲に迎合している愚かな人間が嫌いだと思ったことと、このままでは自分がそいつらと同じになってしまうという危惧を抱いたからで、ではどうすれば良いか考えると、自分の撮った写真を載せて自分の頭の中を見せようと思った。私は失語症になった。


 私は失語症になった。その代わり、誰もいない所で一人で喋るようになった。喋る中身は、こうあってほしい理想の中の自分が、こうあってほしい理想の中の相手と理想の会話を交わしているのだった。するとたまらない幸福感を覚える、というのは大げさで、まあまあの満足度を覚える。鏡の中の自分に向かって笑みを泛かべ、偽物の感情をふりまいてみる。自分が頭のなかの理想を一人きりでみじめに再現していることに自覚があるので、自分を狂人とは思わない。私は少しもおかしくなんかないし、きっとそう思って過ごしている頭の悪い人間はごまんといるのだろうと思うと、私はまた自分がいっそうつまらない人間になってしまった気がして言葉を発するのが嫌になってしまう。


 百万回も言う。私は相手の気持ちが分かる。百万回も言う。私はあなたの気持ちが分かる。百万回も言う。私はあなたに同化できる。私はあなたの望みを体現することができる。だけど私の才能はそれだけだったのだと、ようやく気付いた。才能と呼んでいいのかどうか分からない、もちろん私と同程度の能力のある人間もきっと私の知らないだけで沢山いるのだろうが、だけど私の狭い狭い世界の中にはほとんどいないから、敢えて大言壮語してしまう、才能と言い切ってしまう。私はあなたの心が分かる。だから人と一緒にいるのが苦痛だ。ある意味で、人に対して、機械的作業、機械的対応になってしまう。相手の望むままに作動するソフトマシーンと化してしまう。そうしてそれを相手に気取られないように取り繕う程度の優しさを持っている。気遣いなんて少しも持ち合わせていない愚鈍な人間であると一生懸命に示そうとしてしまう。つまり装った鈍感さを私の本性であると他人に思い込ませようとしてしまう。そうしてそれはある程度、成功する。ほとんどの人は私を何も考えない鈍感な人間だと思ってくれる。馬鹿で阿呆でおちゃらけた鈍いだけの人間だと思ってくれる。私が心の中でそいつらを何と思っているか私の目を見て探らないでいてくれる。私の目の色が揺れないと信じ込んでくれるお前らこそ鈍感さの塊以外の何であるか、と、私が心密かに毒づいていることなど考えもしないでいてくれる。そういう鈍感さを私は心底から尊敬し大切にしようと思う。失語症なのによく喋る。

 私は、役割を与えられれば頑張ってそれなりにこなしてしまう。だけど何の役割もない私は、鏡と向き合って一人で自分の表情を確認しながら、理想と夢物語の嘘話を現実に引きずり出してきて一人で喜んでいる、とても頭の弱い人間である。

 答えの出ないことは考えない。ある時までそれは思考停止で、私はそれを忌み嫌っていた。答えの出ないことは考えない。そう自分にいい聞かせながら、だけどそんなんじゃ駄目だと思っていた。ある時を過ぎた私は、ほとんど完璧な諦めを手に入れたように思う。「答えの出ないことは考えない」「考えるだけ時間の無駄だ」「時間は有限である」「貧乏人も金持ちも天才も気違いも怠け者にも勤勉なる者にも一日は二十四時間しかない」「だから何も考えない」「死がいつか必ず私を止めてくれる」誰のうえにも平等に流れる時間と、誰の身にも必ず降り注ぐ死が、私の妄想と空想で爆発しそうな頭を優しく撫でて冷やしてくれる。死がいつか必ず私を止めてくれる。だからなにも考えない。なにも考えないで済む。


 私は井の中の蛙です

2012年12月2日日曜日

12月2日 大森のからっぽ

 パク・チャヌク特集を見るため、初めてキネカ大森に行く。もう幾度か見た「復讐者に憐れみを」をもう一度みる。最初に見たほどの衝撃はなく、思っていたほどの思い入れもなくなっていた。緑色の頭の優男はとてもかわいいが、今回は残虐描写ばかりが目についてしまった。中身を知っている映画だと、次にどんなシーンが出てくるか分かるので、どうしても頭の中にある記憶をなぞらえるような見方になる。それは自分の記憶と答え合わせをしているようで、のめり込むというより、次は何だっけ、と先んじて思い出すことに神経を遣ってしまう。つまらない映画に2時間を費やすのはどうしようもなく苦痛だが、知っている映画の答え合わせに時間を遣うほど、私の時間は無限にないと思ってしまった。韓国映画を立て続けに2本みる元気もなく、その一本だけ見て映画館を出、大森という街を散策してみる。

 昼餉が食べたくて入ったベルポート大森の天井に、度肝をぬかれる。空腹と残虐描写でくたびれていた心が、少し弾んで写真を撮ってみる。







 狙いをつけていたのはインドカレー屋かセルフうどん屋なのだが、客の誰もいないことにたじろいでしまい、インドカレー屋を諦めてセルフうどん屋に入る。釜玉とかぶっかけとかいう名のうどんの内容が、いつもよく分からないが、名前に惹かれて、また自分で作ることもできないので、しばしば頼んでしまう。そうして揚げ玉未満の天かすと少し乾いた長ねぎ、生姜とそこに用意されていたトッピングを全部まぶしてみて、これで良いのかな、といつも思う。釜玉や温玉に代表されるうどんに私が戸惑いを覚えるのは、そこに何がのるものか判然としないからだ。それでも食べられれば良いだろうと大雑把に肯定し、食べ始める。くずれた玉子と天かすと生姜が絡んだ全体にきつね色の有耶無耶を口に運び、咀嚼して飲み込む。うどんは、もしかしてあんまり噛まないのかなと疑問を覚えながら、ずるずる食べる。そばよりうどんが好きだ。

 腹が張ったので散歩に出る。大森から海が見えるはずだ。地図を確認して京急線は大森海岸駅の方へ歩く。風が冷たい。道路が広い。そして平たい。しかも真っすぐ伸びている。街の中にほとんど起伏が見られない。大通りを一本逸れた細い道でも、大通りに対して道が垂直に、ずっとまっすぐ向こうまで続いていて、その細い平べったい道に対して唐突に、垂直に背の高いビルが建っている。不思議な感じを覚える。私の育った街は、細いくねる見通しの悪い道ばかりなので、その通りの向こうまで見渡せる景観に違和感を覚える。海が近いのだと納得する。山がないから、平べったい敷地に広い面積の建物が建て易いのだろうと推測する。第一京浜の海側に渡ると、かすかに磯の香りがした。

初めてみた平和島競艇場



キネカ大森 来週から3月までキム・ギドク作品を上映するようだ。

2012年11月26日月曜日

11月25日 暮れ行く連休の終わり

 新宿に行って諸々の用事を済ます。新宿は広くて何でもあって便利だ。「広くて何でもあって便利」ということが実現されるためには、広い売り場面積を確保する必要がある。ということは、一つの店から別な店へ移動する距離は、売り場面積に比例して大きくなるということだ、とサザンテラスを歩きながら漠然と思う。そんなことは、当たり前だ。当たり前だけれども、今日気が付いた。

 電車のなかで、どういう順番で移動するか予定を立てた。まず南口、それから新南口、それから西武新宿に行くか、もしくは東口に行って、でも最後は南口に戻ってきて、そのとき、どの道を通るのが近いのか。頭の中に新宿の大まかな地図を描こうと思ったが、漠然として曖昧模糊で、判然としない。新宿の地理がよく分からない。結局、一時間強ですべての用事を済ますことを諦め、どうしても今日終わらせなければいけないことの順番に用事に番号を振り、そのメモを見ながら行動した。頭がどんどん馬鹿になっているのか、考える能力が落ちているのか、分からないが、あらかじめ予定を立てないと、街中で立ち止まってしまうようになった。そうなると、うーん、どうしよう、と考えるふりはするのだが、まったく答えが出せなくなる。判断力と決断力が極端に落ちて、そのうちに目眩とのどの渇きを覚えて、といってお店に入って店員に注文をするだけの体力もなく、どうしよう、休むべきか、帰るべきか、それとも次の用事を済ませるべきか、どうしよう、ということから先に考えが進まなくなって、それに疲れて死にたくなってきてしまうので、もう行動に順序をつけておいて、その通りに実行するようにしている。すると、あんまりくたびれない内に帰ることができる。

 閉館間際の図書館に行き予約していた本と、読みかけのまま貸し出し期限がきて返してしまった本を借りる。途中までしか読めなかった萬月の「裂」を、もう一度借りる。久しぶりに、萬月の本の中で、心から良いなと思ったから、もう一度読みたかった。図書館で借りる本は、いつか返さなければいけないという期限つきの緊張感があるので、それは自分で手に入れた本と違うたのしみがある。





 出掛けたら写真を撮ろうと決めた。どこに行って何をしたか、生活の記録を写そうと思った。思ったそばから、さっそく忘れて手ぶらで帰りそうになって、慌てて暮れていく日曜日の夕方を撮った。

2012年9月20日木曜日

連休中


 夏休みをもらい損ねたので、9月になってから休んでいる。カレンダーをあまり把握せずに、連休中の4日間の休みを申し出たところ、都合9日間も休むことになった。嬉しい限りだが、もともと無為無策で何も考えておらず、くわえて出不精かつ人見知りのため、あまり出かけもしないでぼーっと家にいる。掃除をしたり外出したりするものの、何だか気持ちが落ち着かないでいる。

 気が付けば水曜日だったので、映画でも見ようかと思い色々調べてみる。昼間から映画館に行くなんてことは滅多にないし、映画館のはしごなんて贅沢だと思うが、見たい作品はすでに終わっていたり、ちょっと興味はあるが単館系でレディースデイ割引を設けていなかったりして、あれこれ検索する間に疲れ果てて結局となり町までさっと行ってすぐと帰ってくる。来年の春先の旅行のために薄手のコットンのズボンや脱ぎ履きしやすいスニーカーが欲しかったのだが、新宿まで出張る元気がなく近場へ行ってみる。けれど化粧の濃い店員さんに話しかけられ、もうそれだけで意欲が削げてそそくさと店を出てしまう。こういうときは自己嫌悪に陥る。陥るけれども、苦手だから致し方ない。そうして店員さんもお仕事だから私のように見た目が世間一般の流行に意図して乗っていないのか乗れないのかよう分からない、何を目指しているのか不明瞭で、もしかしたら日本人でもないかも知れない(ときどき外国人に「僕ノ国ノ人ニ似テル」と話しかけられる)人にも話しかけないわけにはいかなかったのだろう、と納得する。オリーブの石けんを買って帰る。

 頭のなかで自分に都合の良いストーリーを作って、半分ほど妄想世界の住人として過ごしている。人目があるときは自制するが、ないときは殆ど独り言をしてしまう。昔からその傾向はあったが、恋人と別れてから特にその傾向が強まったように思う。あるいは、恋人のいる期間が長かっただけで、思い出せないほど以前には、私は同じように独り言と妄想で孤独をやり過ごそうとしていたのかも知れない。これで、人目も気にせず衆人環視の状況で独語空笑などしてみせたらもう間違いなく狂人気狂いのレッテルを貼られるのだろうが、私は自覚があるので間違っても狂人などではない、と自分につらつらいい聞かせている。さて私のたがが外れて人前で己の妄想を話しだしてしまうのはいつなのだろうか。私はいつおかしくなってしまうのだろうか。それとも、こんな独り言をしてしまうのはもう充分におかしい証拠なのだろうか。

 おかしいということに自覚がある限り、私は永遠に狂ったりできないのではないかと、そっちを不安に思ってしまう。人事不省、前後不覚、我を忘れて夢の中。それが私の信ずる、ある意味で理想とする、幸せの一つの形だ。我を失うこと、自覚がなくなること、自分と自分の立ち位置について、世の中から客観的に見た自分そのものについて、自覚がなくなること、それが私の考える幸せなのだから、私はちょっと可哀想だと思う。

2012年9月9日日曜日

「生きるための家」展

 父と東京都美術館に「生きるための家」展を見に行く。その後、時間があったので表参道へ移動し岡本太郎記念館も行く。

 「生きるための家」はあまり面白うなかった。大賞に選ばれた作品がでかでかと実物大のスケールで展示されていたが、何というか、可愛らしい家で、私の好みでない。私はとことんまで実用的な造りが好きだ。それが美しいと思う。頭でっかちだからか意味を求めてしまう。斜めの屋根、塞がれていない壁、宙ぶらりんの棚、小さな植木鉢をぽちぽちと並べること、それに何の「意味」があるのかと、いろいろ考え過ぎてよく分からなく感じた。最近「意味」原理主義にとりつかれている私には、「意味」がないことはするべきではないという確信が覆い被さっていて、だから理解できない意図に当たると、それは何故、どうして、どういうこと、と頭のなかが疑問符で埋め尽くされてしまい苦しくなってしまう。答えの出ない問いに対して、何の意図もなく「なんとなく」から始めたのならやらない方がましだとまで思ってしまう。ある意味で、「意味」原理主義の重篤な症状に陥っている。

 そういうわけでそれ以外の、もっと可愛らしい作品もやっぱり意味がよく分からなくて理解するのを途中でやめてしまった。あとはただ見た目の出来や何かで「かわいい」だの「面白い」だの「変わってる」だのと白痴同然の三語を使い回してどうでもいい感想を述べることに終始した。くたびれて建物の外に出ると、「マウリッツハイス美術館展」を見に来た長蛇の列が炎天下の上野公園で何重かのとぐろを巻いていて、その人混みに当てられて気分がたいへんに滅入る。こんなに待たされて、こんなに人が多くて、それで絵なんかよく見られるよな、という気分になる。私は、途中で、並んで待たされることのみじめさに負けてしまう気がする。こんなにおあずけを喰ってから差し出されるご褒美ならいらないと思ってしまう気がする。そういう自分の変な考えすぎと変な劣等感でいたたまれなくなって、きっと途中で帰ってしまう気がする。私にはとても真似できない。



 上野駅そばのお店で昼飯をかっ喰らう。あまり選ばずに入ったせいで店内が煙く、たばこくさくもあり、冷房もつよく効いていて、疲れてくる。しかし重症ファザーコンプレックスを患う私には父の前で不機嫌な顔を見せることができず、にこにこと笑って大急ぎで食事をとる。私は食べるのが遅い。だけど父は早い。そうして食事が遅いことを愚図だといって嫌う。だから急ぐ。急いで、満腹で、苦しい。だけど「私はあなたのために急ぎました」と恩着せがましく振る舞うのはとってもみっともないことだから嫌で、涼しい顔をして膨らんだ腹をさすって軽い足取りをよそおって店内を出る。上野から表参道へ移動する銀座線の車内で我を失ってつかの間の眠りをとる。目が覚めたとき、もう頭がかすかに痛かった。

 そのあとはお決まりのパターンで、頭痛、吐き気、気持ちが悪いの三拍子が揃い夜はへべれけに吐いた。へべれけとは酔っ払いに使う言葉だが、もうものすごく極まって吐いた。収縮する胃の形が分かったのはあれが初めてだ、と姉に言ってから、もしかしてあの痙攣していたのは横隔膜だったかも知れないと思う。どちらか分からない。分かったのは、確かにお腹の真ん中が痙攣して反り返っていたことだ。この内容物を吐き出さんと天に向かって突き上げてきた。いかんともしがたい衝動に負けて私は都合3回ほど吐いた。胃酸で歯がざらつくのが分かったが、歯ブラシでも口の中に突っ込もうものならどうしようもなくなってしまうのが分かりきっていたので、そのまま気絶して眠る。どうして私は普通に出掛けられないのだろう。どうしてたかが土日、昼間に外に出たくらいで、すぐと負けてしまうのだろう。とくに父親のような、嫌われたくないあまり強い緊張が解けず、結果としてそれが頭痛と吐き気にまで展開してしまうなんて、私はいったい父と何年親子をやっているのかと我ながら情けなくて仕方がない。どうしてくれよう、この精神的な弱さ。もうこのままじゃ外出もままならなくなってしまう。

「Arts&Life:生きるための家」展

2012年6月28日木曜日

日曜日の漠然

「日本橋展」を見に江戸東京博物館に行く。




がらんどうの空間に風が強く吹いていて気持ちがよかった。

2012年5月27日日曜日

六時半の夢


 恋人と手をつないでいた。赤ら顔だった。頬にはあばたのような傷があった。目が合うとにっこりと笑って、薄い唇のあいだから覗けた歯が灰色がかって汚れていた。なんだ、この人。こんな人だったのか。少し見ない間に、こんな風になってしまって。私が好きだったのは、こんな人だったのか。風が吹いた。赤い顔した恋人が、私の長い髪の毛で見えなくなっていく。目が覚めた。夢だった。あれは浅草、きっと吾妻橋か、もしかしたら大桟橋の方、どこか海のそばで、二人で行ったことのある、風の強い場所だった。

 目が覚めたら、自分の寝床で、布団に顔をつけて眠っていた。びっくりした。心臓がどきどきしていた。びっくりした。恋人があんな風になっていたらどうしようと思った。布団からはみだしていた青いバクのぬいぐるみを抱き寄せる。柄にもなく、年甲斐もなく、こんな人形を抱きしめて眠っている。19歳の時に東京都下の、団地と畑と国道しかない土地のドンキホーテで買った。あのとき付き合っていた人の住んでいたアパートのそばには、ドンキホーテしかなかった。

 枕許の時計を確認する。6時半より少し前だった。寝床に入ったのが2時くらいだから、やっぱり4時間で目が覚める。たまの休みは、予定を立てて行動したいほど、嬉しいものだから? 金曜日の昼日中から楽しみで、金曜日の夜は期待が大き過ぎて不安になって、呼吸がしづらくなって、頭痛がしてきて、うんうん言いながら眠る。それでも朝はびっくりして起きてしまう。最近あまりよく眠れないで、6時くらいに目が覚めてしまう。それでぱっと起き上がれば良いのに、すぐと目を閉じてもう一度眠ってしまう。

 いまの恋人はどんな風になっているんだろうと、目を閉じて想像する。頭の右上の方がかすかに痛い。いまの恋人はどんな風になっているんだろう。元気にやっているか。少しは痩せたのか。趣味に邁進して充実しているか。それとも傷心で意気消沈しているか。私のことなんて忘れて楽しく伸び伸び好きに生きているか。どんな風になっているんだろう。もう別れたのに、自分から駄目だと最後通告をしたくせに、どうして私はこうも未練がましいのだろう。どうして私はあんな恐ろしい夢を見てしまったんだろう。どうして私は、すぐと前に進めないのだろう。

 時間を無駄に過ごしてしまったのかと自問自答しかけて、すぐと自ら否定する。そんなことはない。そんなはずはない。無駄だったなんて、そんなことは。無駄だったと否定することは、自分の時間を否定することと同じだ。私は何年もの間を無為に過ごしてきましたと断ずることは、今の私には、到底できそうにない。

 私が弱いせいか、いつも今すぐの答えを求めてしまう。絶対に覆ることのない、絶対に正しい、それを突きつけられたらもう諦めて受け入れるしかない、正解を求めてしまう。私は、頭が弱いのか、あるいは、意思が弱いのか、いつもはっきりと申し渡されたい。命令されたい。逆らうことのできない答えを呈示されたい。答えをもらって、なにも考えず妄信したい。服従したい。私は自分の意思を持つことから逃れたい。自分で決めて、自分で進む。その自由の責任から逃れたい。自由が怖い。自由であることが、怖い。自由でいることが、怖い。「何でも好きなようにしていいよ」私の目の前にはいつも選択肢が用意されている。私は自由気まま好き勝手を約束され保証されている。私は好きなように生きていい。どこに行っても、何をしても、どう転んでも、何でも許されている。それなのに私は不能だ。手足がない。正確には、あるけれども、ちぢこまって使い物にならない。右足、左足、一歩前へ、前進のかけ声が欲しい。命令されたい。規定されたい。断定されたい。規制されたい。拘束されたい。束縛が欲しい。不自由が欲しい。喉から手が出るほど不自由が欲しい。それは性的なことではなく、私自身をもうずっと脅かしている、不能の欲望だ。私は不能になりたい。ふぬけになりたい。何もできなくなりたい。手も足も、首も目も、顔も、耳も、くちびるも、ただそこにあるだけで、何も使うことができず、ただそこにあるだけで、誰かの意志と意思によってのみ行動を始められる、そんな不自由が欲しい。窮屈が欲しい。恐ろしく傲慢だが、私は不自由が欲しい。

 かといって、これが全身まひだとかの「本当の」不自由であったら全力でそれを避けようとするのだから、やっぱり私は馬鹿なのだ。傲慢なのだ。頭のなかだけで理想の不自由をつくりだしてそれを崇め奉り現実のものにしようとしている、と自らを規定する。お前は馬鹿だ。不自由や窮屈に幻想を見ているのだ。それが美しく素晴らしいことで、そこに自分の悩み苦しみ思い煩いはなく、だから心の重苦しさや不安とも縁がなく、ただ言われるがままに行動し、誰かの意志と意思を反映するのみの道具と化したいと思い込んでいるのは、それが頭のなかだけで作られた陳腐な虚構だからだ。それは、お前の鬱陶しい思い違いと思い込みをたぶんに投影した、お前の勘違いだ。お前は、自らの行き過ぎた勘違いを理想化し、そこに辿り着けないことで苦しんだふりをしながら、けれど実際に自分の理想とする身体的な不自由が自分に約束されようとしたら、全力でそこから逃げようとする、あれも嫌これも嫌のわがまま放題で、結局みずから何も規定することができず、だから欲しいものもはっきりと分からず、ただ漠然とした不満足を抱えている、どうしようもない頭でっかちなのだ。自分で決めて、自分で進むのが怖いから、いつも誰かに従っていたい。ただ一言それだけの愚かさを、延々と御託を並べて自分の苦しみのように見せかける、お前はただそうやって自分の苦しみもどきと手に手をとり合って遊んでいたいだけの大馬鹿者なのだ。



 恋人はいつか私を怖いと言った。私は主体性がない、という私の言葉を、彼はついぞ最後まで信じてはくれなかったが、実際のところ私はきっと本当に主体性がないのだと思う。いつもいつも誰かや何かの意思に従いたがっている私を、命令を待っている私を、その私の行動原理を、怖いと言った。それは正直な反応だと思う。私はおかしい。おかしい人間を怖がるのは、当然のことだ。そうしてまた断定に逃げようとする。私はおかしいのか。私は主体性がないのか。私は怖いのか。私には私が分からない。だけど、「私のこと」を延々と考え続けていられるだけ、私はどうしようもなく暇を持て余した自己愛の塊なんだろう。だから、余計なことを考えてしまうのだろう。もっと充実に逃げる。自分の時間がなくなれば自分について考えることも減るだろう。余計なことを考えてしまうのは、それだけの余裕があるからだ。それだけの余裕を減らせば、きっと苦しみも減るはずだ。もっと予定をぎゅうぎゅうに入れて、あれもこれも欲張って盛り込んで、いろいろやろうとして、意味もなく興味もないくせに、どんどん手を出して、すぐと疲れて死にたくなってしまうくせに、それなのに、忙殺に、救いを見いだす。矛盾している。

2012年5月20日日曜日

急坂をのぼる

一週間くらい前か、新国立美術館で開催されている「国展」を見に、父に着いて一緒に行く。父の知り合いというか、教え子に当たる人が入選されたので、見に行った。

 その人は、挨拶ついでに他の作品の説明もしてくれるとても優しそうな人当たりの良い人で、よく見たら7年前に一緒にアメリカに行った人だった。向こうは私のことをちゃんと覚えてくれていたが、私はまだ子供だったので、おぼろげな記憶しかない。シカゴのジョン・ハンコック・センターを観光客然とカメラをぶら下げてぞろぞろと行き、そこから見える100万ドル以上の夜景に感動して顔を見合わせた、ことしか覚えていない。我ながら勿体ない旅の仕方だ。

 今日は、また別な場所の展覧会にお邪魔した。子供のころ、父の先生に当たる方の展覧会をここでやったことを覚えているが、ここが映画の舞台になったこと以外、まったく記憶から抜け落ちていた。久しぶりに来てみて、子供のころに見たケンタッキーがまだあることに軽い感動を覚えた。駅からの上り坂は思っていたよりずっと急で長かったが、その先の階段はとても短くてすぐと終わってしまって、その終わった先の緑のトンネルの先に美しい白い建物が建っていた。ああ、こんな風だったっけ、と懐かしく、だけど不思議に思う。映画の中ではもっと大きな建物のように映っていたが、実際目の当たりにしてみると、それほど大きくもない。だけど中に入ってみると、意外に広い。不思議な構造で、建物の横幅は狭いのだが高さがある。部屋の中や部屋のドアは、迫ってくるような狭さなのに、一歩踏み入れてみると、意外に天井が高くて変な感じがする。部屋全体に長体をかけたような、まるで自分まで横幅80%縮小されたような、そんな不思議な感じがあった。

 展覧会の会場へ向かう電車のなかで、前の恋人によく似てる人を見つけて、一瞬心臓がきゅっとちぢんだ。ここは彼の住んでいる沿線で、だから昼間の時間帯に彼がもしかして電車に乗ることも当然考えられることで、そうしてこの場合の私は彼の領域に突然割って入った闖入者なのだと思うと、何だか切なかった。電車のなかの彼によく似た人はスマートフォンをいじっていて、誰に何のメールをしているの、と思った自分が怖かった。これからどこに行くの。誰に会うの。何の用事で、もしかして楽しいこと。そこまで想像して悲しみを覚えた自分を、怖いと思った。いまさら何を執着することがあるんだろう。いまさら何をやりなおせることがあるんだろう。私はできるだけのことはやった。出来る限りのことをやった。自分がするべき、そうあるべき行動をとった。不完全で不充分だったかも知れないが、ともかくも私は自分で納得できるまでの行動をとり、そうして疲れた。ここに私の幸せはないと思った。無理をすることは私の幸せではないと思った。誰かや何かの意志と意思におもねることは私の幸せではない、もう私は誰かや何かの意志と意思の思うままに従わないと決めた。私は私の幸せを求める。簡単に言えば、やりたいことをやる。誰にも邪魔されないように、やりたいことをやりたいだけ、自由にやる。それを誰かに止められたり、誰かの顔色をうかがったり、その結果として行動を制限したりすることは、しない。それは私の幸せではない。

 そんな当たり前のことに、いまさら気が付いて、そうして今からそれを求める。心の中でぶつぶつとそのことを唱えて、納得すると、さっき見たのは、彼によく似た別人だったかも知れないと、都合のいい考えが浮かんできた。実際のところ、どうか分からないが、もう今さらどうすることもできないことについて、あれこれ思い悩んでいることが辛いので、辛いことからは逃げる。それで良い。


新国立美術館の磨りガラスから見える、屋外展示作品

2012年5月6日日曜日

見つけるの早いよ

姉に付き合って御徒町・上野へ行く。バイク用品の店があるというので、そこら辺を歩く。ヘルメットや手袋を見てまわる。よく分からないで帰ってくる。上野の駅構内にある本屋で人にあげる図書カードを買い、そのまま店内に吸い込まれていってしばらく立ち読みをする。


 昭和通り沿いの店をふらふらと歩いて回ったが、あそこら辺は夕方から何をしているか分からないで通りで煙草を吸っている男の人が多い。何語か分からない言葉を喋っていて、あちこち見て歩いている、そこら辺に不慣れな田舎者の私を見て、こんな所に何をしに来たんだと笑っているような気がした、のは私の自意識が過剰なせいか。新橋に行ったときも思ったが、昼間から借金取りバッグを片手にふらふら歩いている人は一体どんな生活をしているのだろうか。そこに興味がある。そうしてそこに興味を持つほどに、私は世間ずれしていない、ある意味で暗い危ない所を何も知らずに幸せに育って来られたのだなと思う。それはありがたいことであるのに、どこかで何も知らないことを恥ずかしく引け目に思っている自分がいる。

 歩きながら思い出した。「御徒町に古いバイク用品店があって、むかし行ったことがある」「御徒町ってどこ」「上野の近く」「上野って美術館があるところ」「そう、不忍池があるところ」「最初に会ったところだね」「そう、初めて会ったところ」なんで駄目にしてしまったんだろうと思う。なんでもっと大切に出来なかったんだろうと思う。一日のうちで何度も気が変わり考えが変わる。嫌だ、という否定の意志ははっきりとあるのに、こうしたいという積極的で肯定的な意志が持てない。自分のなかに見つけられない。だから何も考えない。思考停止をする。


 初めてみたジャイアントパンダ

2012年5月5日土曜日

性的少女のおぼえがき

新木場のSTUDIO COASTで開催されている「JAPAN JAM 2012」に、姉の代わりに行く。出演者のほとんど誰も知らなかったが、向井さんが出ると聞いて行くことを決めた。


 向井さんは、星野源という人とセッションしていた。遠目に見ると森山未来くんに見える星野さんは、かわいらしくて、歌もうまくて、いろいろを作れる才能があって、とっても今どき風で、だから何だか引っかからなかった。私は向井さんや友川かずきのような泥くさい、どこまでいっても鬱陶しくしつこい感じしか受け付けないようだ。「Water Front」から始まり、「透明少女」や「IGGY POP FUN CLUB」などナンバーガールの名曲を久しぶりに聞き、なんか夏だなあ、という感想を持つ。

 初めてナンバーガールを聴いたとき、私は17歳だった。学校をサボって行く場所が図書館しかなかった。東電OLに関する本を探して読んでいた。冷凍都市も透明少女も全部自分のことのように思っていた。夏だった、冷房の風邪が意地悪に冷たかった、どこか湿って黴臭いベッドに横たわってうすピンク色の天井を見ていた、自分はどこにも行かれないという不能感と、望めば何だって手に入れることが出来るという誇大妄想の万能感に取り憑かれて覆いかぶさられて引き裂かれてほとほと参っていた。20歳になるまでに死んでしまおうと思っていた。若くて馬鹿だったが、はっきりした意志を持っていた。何も知らなかったから、自分に迷いがなかった。苦しかったけれど、いまほど窮屈でもなかった。苦しいなりに何だかひりひりするような切実さがあった。あまりなにも省みることがなかったせいだろう。自分のことをだけ考えていれば、自分のことだけで悩んだり苦しんだり悶えたり落ち込んだりしていれば、それで事足りた。あのときのことを思い出した。

 向井さんの曲はよく「思い出」が出てくる。思い出す。思い出を抱いている。「記憶」や「記録」も多い。今ここの実感ではなく、今から手を伸ばして触ることのできない「過去」と「思い出」と「記憶」に興味の対象が絞られている。それが好きだった。私もあのとき自分の「過去」と「思い出」と「記憶」に取り憑かれていた。あのときのことを思い出していた。

 久しぶりに「おとうと」に連絡を取ろうかな、と思ってやめる。「おとうと」は私のなかでまさに冷凍都市のイメージそのもので、「おとうと」といると私は「性的少女」になることができた。でも私は途中で、自分が「透明少女」でもなければ「性的少女」でもない、もちろん「東電OL」でもない、私では、主人公になれない、ことに気が付いてしまった。それまで自分が持っていた思い上がりが心底恥ずかしくなって、冷凍都市から始まるそれらのイメージから遠ざかっていた。「私では主人公になれない」過剰な自意識しか持ち合わせのない私にその現実は痛かった。でも現実は現実で、私は主人公になれなかった。

 「おとうと」と会って話してみたら、一晩くらいはその気分を味わえるのだろうが、やっぱり途中で現実が見えて、この先に道の続かないことが見えて、落ち込んで死にたくなってしまうので、現実に立ち戻って、「おとうと」に連絡は取らなかった。意味不明の日記になる。


向井さんの番が終わって会場を出ると、見事に晴れていた。

2012年4月30日月曜日

4月29日
 家族で出かける。東京の西側を目指す。表参道へ東急プラザを見に行く。ゴールデンウィークだからか思ったほど混雑していない。中の展示は全然見られないまま最上階まで行き、それから順次降りていく。建物を見るのが目的だったが私には何の知識もないのでただ家族の講釈で横で聞いて頷いている。スターバックスのある階は外へ出るテラスがあり、ウッドデッキの下にさまざまの植物が植えられていた。壁が高くて外の景色が全然見えない。チョコレート色の高い壁が、何だか野暮ったくてあんまり良いもののように思えなかった。暑さと人に疲れて移動する。

 新橋へ行く。前から行ってみたかったニュー新橋ビルで昼食を摂る予定だったが、休みのせいかビルのほとんどの店が閉まっていて、やっているのは怪しげなマッサージ店でとても興味があったが、家族でぶらぶらするのに不適当なのでそそくさと出、西口の商店街か何かの通りにある安いうどん屋でやたらとコシのある太くて固い冷たいうどんを吸い込み、それからJRで浜松町へ行って隅田川ラインの乗り場である日の出桟橋を目指して歩く。歩く途中で、ああ、これは過去に恋人と通った道だと思い出す。あのときは浅草で恋人の祭り用品の買い物に付き合い、珍しく観光などして、そうだ、建設途中のスカイツリーを見ながら観光船で隅田川をくだろうと話し、外国人観光客でひしめく平たい船に乗り込んで潮の匂いをかぎながら揺られていた。日の出桟橋に着いて、なんだか西日の陽射しに照らされて疲れはて、とぼとぼと浜松町まで頭上の首都高速を意識しながら歩いた。ああ、これはあのときのルートを逆に行っていると思った。思ったことはそれだけで、それ以上何の感慨もなかった。

 新橋は何をしているか分からないおじさんが多い。借金取りバッグを片手に携帯電話で韓国語と思しき言葉でやりとりをしている人を見、なんだかここが好きだと思った。ニュー新橋ビルはおじさん向けの中野ブロードウェイという感じで、もしかしたら今も中野に住んでいるだろう弟のような男の子のことを思い出した。

 わけも分からず人恋しくなっている。ちょっとでも好みの顔を見かけると、次は頭のなかで自分がその人に顔を近づけている場面が思い浮かぶ。発情期か。なんでもいい。誰でも良い。我を忘れて従いたい。征服されたい。やっぱり宗教に入ろうかなと思う。でも私はまともだからきっと、我を忘れられないのだろうなと思う。全然写真を撮っていないので、何にもないつまらない戯れ言で終わる。