2014年11月12日水曜日

私の犬

 子供の頃の性体験を話す機会があって、その人がおじさんとおばさんと自分との間にあった遠い過去の日の思い出を自分のものとして嬉々として話したのに、私はただ、思い出して、しまった。思い出して、あったことをそのままに言った。知らない男の人がいつの間にかやってきて、肩を掴まれて、顎を掴まれて、私は日に焼けた子供の健康的な足を無防備にさらけ出して歩いていて、そして恐ろしくて逃げられなかった。恐ろしくて、笑っていた。逆らわず、騒がず、嫌がらず、ただ笑って、受け入れていた。私が笑うから、男の人も笑っていた。涎が垂れそうなほど、とろけそうな笑顔で、私に向かって笑っていた。

「何歳でしたか」
「9歳か10歳かな。よく覚えてないですけど」
「抵抗しなかったですか」
「しなかったです」いまと同じように。
「嫌じゃなかったですか」
「嫌かどうか、分からなかったです」いまも同じように。
「どうして誰にも言わなかったんですか」怒られるような気がしたから、怖くて言えませんでした。
「その一回だけですか」そのあとも何回もあいました。
「同じ人に?」いいえ、違う人達に、違う場所で。でももうよく覚えてません。
「男の人が怖くなった?」いいえ、べつに。そういうものなんだと思っただけです。
「そのあと、男の人と付き合った?」はい。付き合うの定義が難しいですが、まあ普通に付き合ったと思います。
「セックスは好きですか」はい。好きです。
「あなたはスケベですね」そうかも知れません。

 質問に答えるうちに、自分がだんだん遠いところへ行く気がした。できたばかりなのか、通行料が高いのか、ここで一番きれいだと言われるだだっ広い、ただ平坦の、まっすぐの、4車線くらいあって、そして誰もいない煙った高速道路上で、私はどこか遠くに行っている気がした。

「過去は過去です。過去の中に生きないでください。過去の中に生きると、幽霊になります」

 そうか、幽霊になったのか。道理で、合点がいった。
「習字の授業が学校であって、それは小学三年生から始まったように記憶しているので、多分9歳です。父の外国土産の揃いのブルーグリーンのシャツとショートパンツを着ていて、その左の胸ポケットに墨汁が飛んだんです。私は左利きで、あのときはまだ習字も左手で書いていました。そのあと練習して、習字は右で書けるようになったんですけど、ええ、私ほんとうは両利きで、どっちも使えるんです、右も左も。普通は左の方がきれいに書けますけど、黒板とか習字だったら右の方がきれいだし、ハサミとかカッターとか、ドッジボールとか、卓球とかテニスとか、何でも反対側に持ち替えてできます。でもそのときは、まだ、習字を始めたばかりで、だから左手で書いていて、それで墨が飛んだんだと思います。ほんの少しだけ、いまから考えると、シャツの胸ポケットがボールペンのインクでほんの少しだけ汚れるように目立たない小さな染みだったんですけど、私はすごく嫌で、気になって、学校の廊下にある長い流しに身を乗り出してシャツの胸ポケットを引っ張ってこすり合わせて石鹸をつけてよく洗ったんです。でも落ちなかった。だからもしかしたら、そのとき、よく晴れた日でしたけど、そのとき、私の左の胸ポケットが濡れていて、それがよくなかったのかも知れません。それが、その人には、誘っているように見えたのかも知れません」 私はあのとき、9歳のあのとき、10歳のあのとき、12歳のあのとき、14歳の、16歳の、17歳の、あのとき、あのとき、あのときからずっと、幽霊になっているのかも知れません。

  私が黙って外を見つめるのを男の人はOKのサインだと思うらしい。あのとき、あのとき、あのとき、あのときも、何も言わなかったから、こうやって手が伸びてきて、あのときも、何も言わなかったから、こうやって男の人が近寄ってきた。あのとき、私はどうすれば良かったんだろう。あのとき、私はどうすれば、良かったんだろう。

「過去に生きないでください。いまに生きてください。辛いことを見つめないで、喜びを見てください」喜びっていうのは、この汗で少し湿っているくせにごわごわと固い手のひらを恭しく受け容れて、歓喜の声をあげることなんだろうか。それがあなたの望みなら、その通りにできるのだけど、それはあのときと同じで、いったい何が違うんだろう。


「今度つらいことや怖いことがあったら、私に言ってください。今度は我慢しないで、何でも私に話してください。我慢は良くないです。私があなたと一緒にいます」

  つらいことって、何だろう。怖いことって、何だろう。男の人に触られるのはつらいことでも怖いことでもなく、ただ「そういうこと」だ。つらいことも怖いことも、そのときだけ目を閉じているとその間に終わるから、それも「そういうこと」で、だからそれほどつらくはならない。それが終わったときにはもう、誰かに聞いてもらいたいほどの感情の高ぶりは過ぎ去ってしまって、それをわざわざ掘り起こして、誰かの気分を変えてまで自分に付き合ってもらいたいと思わない。正確には、それが人に聞かせる価値がある話だと、思えない。だから、言おうと思わない。人が、それを聞きたいとは思えない。だから、聞きたくない人に、わざわざ教えたくない。だから、私は、黙って、笑う。抵抗は、しない。嫌がらない。拒絶しない。ただ暗い森を抜けたところに洞窟の入り口があって、それはそこにあるがままで、力なく開いて、来るものを構わず受け容れる。それは、あのときと同じで、何が違うんだろう。再び、私は、どうすれば良いんだろう。