2015年2月22日日曜日

目をつむって眠ること

 言葉は無力だと思う。相変わらず肝心のことに限って失語症気味である。正確には、私は失語症ではない。喋れる。喋ることができる。ただ、本当に大事なことは、口にするのが、難しい。だから黙ってしまう。日本にいても、どこにいても、私はやっぱり、自分の根幹に関わることは、話せなかった。端から他人が理解を示してくれることを期待していない(つまり逆説的には理解を示してほしいのか)ので、話すだけ自分が不安と期待に苛まれて、結果心打ち砕かれることになると思うと、口を開けない。

 いろいろ考えるにつけ、私の自殺願望はすこしも止まっていないのではないか、と思わされる。いや、自殺願望なんかではなく、ただ生きること、生きていくこと、生き続けること、その先に対して、私の望むものはない、という実感が、厳然とある。私は生きる。でも喜びはない。そういう感じがする。

 あなたはどうしてそんなに達観しているのか。あなたはどうしてそんなに堂々としていて、そして諦観があるのかとときどき問われる。面倒くさいから知らんぷりをするが、心の裡で、それは、私が私の生に何の希望も抱いていないからです、と答えている。絶望しているわけではない。死にたいわけではない。苦しみがあるわけではない。ただ、欲しいものは、手に、入らない。そう思っている。ではあなたは何が欲しいのか。私もしばらく考えた。紙に書いてみたり、森田療法の本を読んでみたり、自分に素直に聞いてみたり、いろいろ考えてみた。そうして分かった。私は、何も考えないこと、を、望んでいた。私は、選択の責任の重さから解放されること、を、望んでいた。私は、目をつむって眠ること、を、望んでいた。私は、誰かに、何も考えなくていいよ、と言ってもらいたいのだった。私は、誰かに、おやすみと言って、何の心配も不安も明日の予定も天気もお金も仕事も将来も、何も考えることなしに、明日を思うことなしに、眠り続けたいのだった。私は子供の心持ちで生きていきたいのだった。自分で選ぶことなしに、誰かの言いなりになって、そして誰かの庇護を受けて、庇護と保護を受けていることすら自覚することなしに、つまり、当然のこととして受け止めて、感謝も恩返しも考えずに、ずっとずっとそのままでいたいのだった。自分に対して、まわりに対して、目をつむって、目をつむり続けていたいのだった。それはたぶん、私が子供のころから出来ないでいた、無意識で図々しく存在する方法なんだろう—自分に対して思いをめぐらせないこと、周りに対して、自分が何をすべきかを意識しないこと、無防備で、そのままであること。

 そしてそれは絶対に手に入らない。

デリーの安ホテルで、朝日が入るように、夜に部屋のブラインドを上げると、外にときどき貧弱な電飾が垂れていた
デリーの安ホテルで、朝日が入るように、夜に部屋のブラインドを上げると、外にときどき貧弱な電飾が垂れていた