2013年11月3日日曜日

生きていて良かった

 友達が欲しいな、と初めて思った。自分の気持ちを誰かと分かち合う。それって、すごく大切なことだったんだな、と初めて分かった。

 私は、誰かを馬鹿にしたり見下したり蔑んでばかりいた。私は、少しばかり他人の気持ちが分かるので、他人を馬鹿にしきっていた。私は、少しばかり他人の気持ちが分かり、またそれに合わせて自分を消すことができたので、誰も私のことなど分かってくれないと恨んでいた。自分で自分の存在を上手に消し去っていたのに、誰も私の隠蔽工作に気が付かないことに、どこにも自分の痕跡がないことに、どうしようもなく深く傷ついていた。他人を喜ばせるにはどうすれば良いか誰に聞かなくても何でも分かったのに、どうか、誰か私に気付いて欲しい、という自分の幼稚な心底からの欲求には、つい最近まで、気が付くことができなかった。

 気が付いてみれば、ずっと重石を置いてあふれでないようにしていた過去の自分の本心を探ってみれば、それは「分かってほしい」というあまりにも安易で安直で、だからこそ切実な子供の欲求であった。

「悲しかったんだよね」
 ある日、自分に言ったことがある。泣きたかったんだよね、あのとき。すごく怖かった、つらかった、嫌だった、気持ちが悪かった、助けてって言いたかった。誰かに、助けてって、言いたかった。でも言えなかった。あまりにも幼くて、あまりにも何も知らなくて、何が何だか分からなくて、ただ自分の存在だけが悪いのだと思った。「私がいなければ良かった」「私なんていない方が良かった」そうしてそれを口にすれば周囲の大人を悲しませ、あるいは苛立たせ、あるいは傷つけ、あるいは疲れさせることを知っていたので、悲しい、という感情すら飲み込んでしまった。誰も嘘と見破ることの出来ないとびきりの笑顔を作ってしまった。「何にもなかった」と言ってしまった。「大丈夫」と言ってしまった。その笑顔を見抜けなかった周りの人のことを、恨んでしまった。憎んでしまった。どうして私に気付かないの。私はこんなに泣いているのに。

 結局、子供の私が言いたかったのは、それだったのだ。誰かに、気付いてほしかった。十代の私が言いたかったのも、それだったのだ。子供の私を抱え込んで、体だけは大人になってしまった、大人の真似事もうまくできるようになった、だけど心の底に、大声を出せないように細い紐を自分で自分の首に何重にも巻き付けてしまった大過去の私を殺しきれずにしまい込んでいることを、誰かに気付いてほしかった。もう少し大人になって、そんな自分の欲望をいつまでも持て余している自分に恥ずかしさを覚えて、さらに隠蔽が上手になってしまった。結局、過去も、大過去も、自分の気持ちも、欲望も欲求も、何もかも隠し誤摩化し見せないことが当たり前になって、何を見つけて何を分かってほしいのだかも分からなくなって、もうこのこんがらがった自分そのものすべてを受け入れてもらうことを相手に望み、そのあまりの過大な要求に相手が怯むことを知っていながらわざとやってみせ、必要以上にそうして大々的に、相手を加害者に、自分を被害者に、自らそのような役回りになるように仕立て上げてしまった。相手に「性欲の捌け口として私を必要としている悪い男の人」というレッテルを貼らないでは、相手が私を受け入れないことの理由として自分を納得させることが出来なかったのだと、今になって分かった。本当は、きっと普通に私を必要としてくれた男の人だったかも知れないが、自分が「受け入れてもらえない」ことの理由として相手を悪者にする必要が、そのときの私にはどうしてもあった。相手が私を性的にのみ必要とするように、意識的・無意識的にそのように差し向けてしまい、結果として男の人に自ら体だけを提供しておきながら、相手がそれを受け入れれば深く傷つき、「誰も分かってくれない」という思いをいっそう強め、性欲の塊のくせしてその自覚がないなどと相手に悪態をつき、罵り、そうして誰かに何かを望んでは手に入らないことの繰り返しに疲れ果て、最初から何も望まないという安易で平坦で、だから何も失わない代わりに何も得ることのない、のっぺらぼうの空っぽの関係性の中にだけ安息を見いだし、だけどまだ「悲しい」という正気を捨てることができず、自分の行いのお粗末さに心底から寂しく情けなく哀れになって、やっぱりこんな自分なんか誰もいらないのだ、こんな自分なんか私にもいらないのだと自分で自分を精神的・肉体的に積極的に抛棄することが止められず、その一方で、あまりにも過大な要求を相手に突きつけてしまう自分自身を恐れ、嫌悪し、このままでは本当に取り返しがつかなくなるまで自分も相手も追い詰めてしまう、そうして最終的にはいつもと同じ、もう堪えられないと手を離されてしまうと恐怖し、どうすればもっと人と適切な距離が取れるんだろう、と根本的な生き方の改善を考えはじめたのがだいたい25歳の頃で、私はその時に、過去の自分のことをもっと受け入れなくちゃと少しずつ思い始めていた。

 そのあと、色々なことがあって、また自分も順調に歳をとり、悲しいのは自分だけではなかったと分かって、ようやく、周りの人のことが許せるようになった。この世で自分だけが可哀想で、自分だけがみじめでみすぼらしくて、自分の大過去だけが取り残されてそのままになっていると思っていた世間知らずな私も、周りの人は、自分ほど口に出さないだけで、実は深い悲しみや後悔があるのだな、ということがようやく分かってきて、そうしたら、自分の悲しみが、薄らいでしまった。そうか、どうしようもないことって、あるんだなと思った。そうか、悲しいことって、たくさん、あるんだなと思った。実はみんな、子供の頃の自分を深く抱え込んでいて、そうしてそれはきっと、私の家族も、私の周りの人も、恐らくは、私が悪役に仕立ててしまった男の人達それぞれにもきっとみんな、どうしようもない悲しみがあったのだろうな、という気付きによって、私の過去への執着は急速に薄らいでしまった。自分の悲しみをこれでもかと開陳せずにはいられなかった自分の幼稚な欲求にもようやく恥ずかしさを覚え、日々の生活の忙しさの中にかまけて、自分の気持ちを記すことを、必要としなくなってしまった。

 思い出したくて、思い出せなかった。悲しいことを、その真ん中にあった本質を、思い出せなかった。辛くて苦しくて、だけどそれが言えなかった。その苦しみのすべてを、忘れるように望まれた。いや、正確には「忘れるように望まれた」ように感じて、それを自分に課してしまった。誰も望んでいなかったことを、私が自分に望んでしまった。「何もなかった」と言い張ることを、笑顔を見せることを、自分に望んでしまった。それが全部、悲しかった。そのことを思い出して、自分に、「悲しかったんだよね」と言った。そうしたら、びっくりするくらい、気が済んでしまった。結果的に、良かったのかどうか、分からないが、ほとんど書きたいことも言いたいことも、なくなってしまった。

 私は歳をとっていって、悲しいこともたくさんあったけれど、自分のことが、前よりも好きになれるようになった。人生は、短い。人生は、悲しい。人生は、思い通りにならない。だけど、すごく深い喜びがある。そのことが分かるまで生きて来られて、本当に良かった。あのとき死ななくて、諦めなくて、自殺に失敗して、本当に良かった。そう思える日が来て、本当に良かった。

 今まで、拗ねて、馬鹿にして、人とうまく接することができなかった。だけど、これからは好きだと思える人を見つけて、その人と友達になりたいな、と思えるようになった。とても低くて当たり前すぎるくらい当たり前の感情かも知れないけれど、自分がこんな健康的な感情を持てるようになったことが、驚きの対象で、そうしてそのことが、本当に嬉しい。

2013年5月13日月曜日

死へ伸びる希望

 「タイガー伝説のスパイ」を劇場で見たあと、家へ帰って母の日をおこない、借りていた「魚と寝る女」「ラジュー出世する」を見る。

 インドから帰ってきてからボリウッド映画にはまり、日本で見られるだけのボリウッドをあれこれ見ては喜び面白がり日々の楽しみにしていた。ボリウッドは面白い。歌って踊ってコミカルでまぬけで可愛い。先の読める勧善懲悪もののストーリーで、主人公達が頑張って頑張って最後は正義が勝つ。キスシーンもラブシーンもなく(禁忌を破る作品もあったが)暴力シーンでさえ韓国映画のような強烈な残酷さはない。もっとも恐ろしいシーンは画面に映らない。それを連想させるような描写をするのみで、腕を切ったり爪を剥いだり太ももにドライヤーを押しつけたり目玉をくりぬいたりする、そういう韓国映画特有の残酷描写は、少なくとも私が見たボリウッドの中にはなかった。愛情が大切、家族が大切、神様が大切、何よりも平和が大切。ボリウッドはいつもそう説く。それが良かったし、それが好きだった。私もそうなりたいな、と思える良いストーリーだった。

 ところが、探してもどこにもないと思っていた「魚と寝る女」を見つけたので借りてしまった。そうして見てしまった。「春夏秋冬そして春」や「弓」、もしかしたら「絶対の愛」まで続くかも知れないギドクの根幹がここにあって、私は本当に泣きながら見てしまった。映画評を書くのが本当に下手糞なので書かないが、私はやっぱりギドクが大好きで、ギドクを知ることができて本当に良かった、と思った。そうしてそのあと、あれだけ好きだ、恰好いい、最高、と思っていたシャールク・カーンが出ている「ラジュー出世する」が全然楽しめなくて、心底からがっかりした。あんなに好きだったボリウッドが、急に目に入らなくなった。

 ギドクの作品はいつも、半分この世にいない人達が主人公だ。体は生きている。だからご飯も食べるし仕事もするしセックスもできる。だけど心が生きていない。死んでいるのではなくて、元から生きていない。かつて生き生きと鼓動を刻んでいた心が何かの拍子に壊れて死んでしまったというような、そういうわけではなくて、もともと作動がうまくいかない心を持っている人達が、いよいよ自分より外側にある物事について心を反応させることをやめてしまった。そんな、生きてはいるけれどもいつも心がここにない、意識の半分がどこかへ行ってしまっている人達が主人公だ。

 生きている体と生きていない心を持った、体から心がちぎれて離れそうな人々が、どうにかこうにか普通の暮らしの中に自分を留めてはいるが、あるとき、自分と同じ種類の人間に出会って、完全に生きることをやめてしまう。死ぬわけでもなく、生きづらい自分達の居場所をこの世に作るでもなく、積極的に互いの生きづらさを確認するわけでもなく、ただ、消極的にも何とか持っていた生への意志と意思を、ついに手放してしまう。生きても良い。死んでも良い。今日のことも明日のことも生活のこともなにも考えない。この世と関わって自分があることを、やめてしまう。自分の体を、手放してしまう。ギドクの作品はそういったファンタジーだと思う。実際に人間はそんな風にしては生きられないのだが、主人公達は夢とも幻ともつかない不思議な世界へ漂っていって帰らなくなる。この世に時分の存在をとどめておく努力を、ついに抛棄する。私は、それが、たまらなく、羨ましい。

 ボリウッドは生へ伸びる希望だ。生きていれば、頑張っていれば、真面目に善人であれば、きっと神様が助けてくださる。神様、私たちはあなたなしでは生きられません。神様、あなたの愛がなければ、私たちは生きられません。そう歌う映画を何本もみた。そのたびに、神様がある、宗教がある人達を羨ましく思った。自分たちの生と死を何ものかに預け、ゆだね、全幅の信頼をおいて、その人のために生きる。その生活は、さぞかし穏やかで安寧に満ちているのではないか。私も神様がほしい。私も私の信じるところが欲しい。そうしていけば、つまるところ、私は神様の思し召すままと自分に言い訳をして、肯定的かつ建設的に生きていけるのではないか。神様、あなたのために生きていきますと自分に大義名分を設けて、明るい方へ向かっていけるのではないか。私はボリウッドを見て、そう思った。

 ところが一方で、私には私の生と性を抛棄することへの強烈な憧れがある。止みがたい抑えきれない誘惑がある。ああもう何もかも考えずにこのまま深く眠ってしまいたいな、と思うことがある。それは死でも絶望でもなく、穏やかなるものへの希望だ。このまま、自分の手を離してしまいたい。この世という土地にしがみついて、その淵に生えているわずかばかりのつるつると滑る苔に爪を立てて、どうにかこうにかこの島から離れないようにしている、だけど生温い水の中に漂って陸に上がれないでいる、どっちつかずの自分の手を、いまここで離してみたいな。そう思うことがある。そう思うときがある。今日のことも明日のことも、家族のこともこの先のことも、何もかも考えずに、そのまま、手を離してしまいたいな。手を離した私は、ただ仰向けになって、水のうえに浮かんでいる。沈んでも良いし、漂っても良い。どこに行っても良い。どこにも行かなくても良いし、何もしなくて良い。ただ目を閉じて、微笑んで、なにも考えない。なにも考えたくないし、なにも考える必要がない。なにもこの手にはない。なくて良い。穏やかで満ち足りた心で、微笑んで、浮かんでいる。そんな理想が、たしかに私の中にある。ギドクの映画は、私にその理想を思い出させる。この世で生きて存在することの疲れを思い出させる。私を、私の理想へと誘ってくる。

 ボリウッドを見ていると、元気になる。前向きで建設的で肯定的な良い気持ちになる。頑張ろう。頑張らなくちゃ。人生ってすばらしい。そんなおめでたい、幸福な気持ちになる。活力がわいてきて、明日も頑張ろう、周りの人にもっと優しくしようと思う。それはとても良い影響で、私はその影響が受けたくてもっと、もっととボリウッドを見ていた。一生懸命に見ていた。ところが一方で私は、私の生を手放すことを夢に見る。そうなったら良いな。そうなったら、私は幸せだろうな。そういう気持ちが抑えられない。この正反対に伸びる私の希望は、いったい何なのだろう。いったい私は、どちらへ行きたいのだろう。どちらへ進みたいのだろう。そう考えるといつも、理性は生へ、気持ちは生からの解放を、望む。解放って、何なのだろう。生きるも死ぬも自分次第で、どちらにも自由に転ぶことができるのに、私はいまだに覚悟が決められないでぐずぐずしている、そういう意志薄弱者ということなのかな。

2013年5月5日日曜日

鏡ばかり見ているとノイローゼになる

 夜になると理性がどこかへ行ってしまう。夜になると前向きで建設的な私が消え、身勝手で自分だけが可愛くて可哀想な、欲望に享楽的な私が台頭する。欲望に享楽的な私は思う。死にたい。誰か私の目と耳と口と鼻を塞いでください。私に何も入らないように、私から何も出ないように、私に何も気持ちの悪いものが触れないように、私がそれに、一切気が付かないように、私をなにも分からなくしてください。私が苦しまないように、私が恐れないように、私が不安を感じないように、何も分からなくなれば、何も怖がらなくて済むから、何も分からないように、私が何も分からないように、誰か私の目と耳と口と鼻を優しく塞いで、それから首もそっと絞めて下さい。

 子供のころ繰り返しみた夢がある。人に話すとたいてい笑われるのだが、通っていた保育園がバルタン星人に襲撃され、大人も子供もみな白いビームのようなものを浴びてそこら中で煙が上がり火花が散り、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる。小さかった私は、部屋の柱と柱の隙間の影に隠れてそれを見ている。みんなが次々とやられていくのを泣きながら震えながら怯えながら見ている。どうかこっちに気が付きませんように。あの黒くて蟹だか海老だかよく分からない怪物が、こっちに気が付きませんように。あの人達が早くどこかに行ってくれますように。私は自分の命が助かることばかり念じている。するとその声が聞こえたのか、それまでこちらに背を向けていた一人のバルタン星人が振り向き、柱の隙間にいる私に気付く。私は、もうこれで終わりだ、どうしようと思い、体が硬直して動かなくなる。バルタン星人に表情はないはずだが、なぜか自分よりも弱い獲物を見つけた人特有のあの満足の笑みを浮かべてゆっくりとこちらに近づいてくる。ゆっくりゆっくり近づいて、吐息が顔にかかるまで近づいて、もう終わりだ、と私が思うと目が覚める。

 それ以外にも似たような夢を繰り返し見た。どれも共通するのは、目の前で惨事が繰り広げられ、私はそこの傍観者であること。惨事を引き起こした張本人が楽しげに破壊と殺戮を繰り返すが、私に気が付かないこと。私はその状況の中のたった一人の生き残りで、周りには誰も助けがいないこと。どうか、どうかどうかこの破壊者が私に気が付きませんようにと願うと、なぜか気付かれてしまうこと。そうして愉しみと悦びに充ちた目が近づいてきて、ああもう終わりだ、と思うこと。そうして私は恥も外聞もなく命乞いをし、破壊者に取り入って事無きを得ること。バルタン星人の夢で、私は殺される前に目が覚めるが、他の夢の中の私はみんな、命乞いをして破壊者の足許にひざまずき、その低い姿勢が認められて破壊者の寵愛を受けるという、文章にすると何とも陳腐で気恥ずかしいが、毎度毎度お決まりのストーリー展開であった。

 このごろ私が思うのは、私は現実にそのようなストーリーを探しているふしがある、ということである。もっと直裁に言えば、私にはそのような状況におかれたいという強い欲望がある、ということを、このところ否定できなくなっている。

 不安、恐れ、悲しみ、寂しさ、人間が生きていく上で回避不能のこの感情と出来事から、一切解放されたいという気持ちが、だんだん強くなってきている。そうして実際には、それから解放されるためには死ぬしかないと分かっているから、欲望が満たされない不満を抱えている。いや、一つだけ、たった一つだけ死なないでそれから逃れる方法があって、それは私の一切すべての生と性を他人に預けきってしまうことである。生きることも死ぬことも人任せ、食べることも眠ることも、風呂に入ることも入らないことも、出掛けることも明日のことも、自分に関する何もかもの一切すべてに、自分の意思と意志を持たないこと。自分の意思がなくなれば、不安も苦しみもなくなる。悲しみも寂しさもなくなる。欲求がなければ、失望もうまれない。喜びもないだろうが、苦悩もない。一切がなくなる。それを望んでいる。それを現代社会で具体的な動作と言葉に当てはめてみると、洗脳、入信、赤ちゃんプレイということになり、私はとてもこれを大きな声で人に望めない。

 夜になると理性が飛んで、私は自分の一切から解放されたいという欲望に押しつぶされそうになる。死なないのであれば、せめて苦しみから解放されたい。苦しみから解放されないのであれば、こんなに苦しんでまで生きていたくない。だけど私が死ねば家族が傷つくので、少なくとも両親より先に死なないと決めた私はまだ死ねない、まだ死ねないのであれば、なんとか生きる喜びがほしい、生きる喜びがないのであれば、私は私の一切から生きながらにして解放されたい、しかしそれは社会的に死ぬことと何が違うのか、私の強すぎる欲望を具現化して、それで私の家族は傷つかないか、私の強すぎる欲望が現実になったとき、それで私以外の一体誰が喜ぶのかと思うと、とても実行する気になれない。だけれども、そうとなれば、私はこのままずっと苦しみの渦のままか、一切から解放されたいという欲深い欲望を抱えたまま、朝の光の健全さにすがって、それをまるで自分のもののように思いこんで、前向きな健全さを装って社会にとけ込み、日が暮れてから、自分のひどい嘘と矛盾にうんうん唸る、それが私のこの先の一生かと思うと、なんとも、気が重くなる。

 そうしてここまで書くと、だいぶすっきりして、私は理性を取り戻す。なんということを望んでいるのかと、自分の直截かつ率直な欲望に驚き、戸惑い、恥ずかしさを覚え、次に恐れる。はっきり言って、打ちのめされる。私の頭は大丈夫なのか、私はどこかおかしいのではないだろうか、という思いに、打ちのめされる。

 朝のうちは大丈夫で、理性を取り戻して前向きになれるのに、夜になるとどこからともなく紫色の渦をまいた不安がやってきて私を取り込む。私を苛む。そんなものに取り合わないで無視してさっさと寝てしまえば良いのだが、そうすれば翌朝そんなことはすっかり忘れて、また健全で前向きな気持ちでいられるのだが、こう毎晩のように不安がやってきて、朝はそれから解放されてと、朝と晩でまるで違う気分に支配されることにほとほと疲れてしまう。それでまた、私はおかしいのではないかと思いはじめてしまう。しかし「鏡ばかり見ているとノイローゼになる」。夜になると私はのぞかなくていい鏡をのぞきこんでしまうのだ。だけど、のぞかなくていい鏡なら、なぜそこにあるのか、とまた考えてしまう。考えると胸がつぶれる。だからなにも考えないようにする。

2013年3月25日月曜日

Hello, this is inu speaking.


 インドに行った。楽しかった。詳細は書かない。

 インドに行った。最後、へべれけに調子をくずした。頭痛発熱嘔気しびれ過呼吸下痢筋肉痛がいっぺんに来てインドの病院へ行き、空港では車椅子をだされ初の優先搭乗で飛行機に乗った。しこたま、というほどでもないが、吐いた。私は吐く時に獣が吠えるような音がする。胃の内容物が食道を這い上がるときに、ぴったりと閉じられているその場所を押し拡げていくときに出る音が、獣の吠えるような音なのだ。あれが、ものすごく、苦しい。あれさえなければ、もっと楽に吐けるのに。恐らく人より具合が悪くなることが多いので、そういうとき、寝床で、コンクリート打ちっぱなしの天井を見ながら考える。吐くのは、病気だから致し方ない。そうであれば、もっと楽に吐けないものかと。

 人の吐く所を見たことがあるが、みんな私のような獣のような音はあげていなかった。あれは何が違うのか。よく分からない。

 インドで考えたことは、「フラッシュバックメモリーズ」を早く見なくては、ということだった。なぜか分からないが、しかも知り合いでもなくただのファンであるのに、松江さんのことを思い出した。3月に、私が行かれなかった、しかもギドクが来た、別府での韓国映画祭のことなどもうっすらと思い出しては忘れた。とてもハードスケジュールで、ほとんど毎日寝不足でふらふらしていたので、いろいろな思いが浮かんでは消えた、という手あかのついた表現でお茶を濁してみる。

 帰国後、インドで知り合いになった人とチャットをしてみている。その人はとても有能なので5カ国語くらい喋ることができる。いま私を通じて日本語を勉強中で、私はその人を通じて英語を教えてもらっている。しかし、私が何かを書くたびに、say it...と訂正が入るので、なかなか手厳しい。だけどその人はとても真っすぐな、日本ではお目にかかれそうもないほど真っすぐな人なので、私はその人をとても尊敬している。だって、いまどき正しさに重きを置いている日本人がどこにいるのだろうか。私が知らぬだけで当然ある一定数はいるのであろうが、しかし正しいこと、正しくあること、それを自分に課していること、そうして堂々と淡々としていること、そんな当たり前かも知れない態度が、典型的日和見主義な日本人であるところの私には、どうしようもなく眩しく見えた。あなたはすごいよ、何でもできる、と私が言うと、その人は、そうだ、私は何でもできる、と言う。私は、この人のことが、すごく好きだなあと思う。だけど、アウトカーストであり、現実的にそう頻繁にインドに行かれない私がその人に強い憧れと、尊敬心と、淡い恋心を抱いたところで、それ以上、現実的にも物理的にも発展しようがない。それが私をこの上なく安心させ、私はまた平気で、あなたって本当にすごい、と繰り返し書くのである。

 一時、性的不能の男との恋愛を夢見たことがある。今から考えてみると実に愚かであったが、その当時の私は、男性が愛情と性欲とを無自覚なままに混同し屹立させ擦りつけてくることが許せなかった。私はとても若くて潔癖だったのだと思う。だから、自分の周りの、自分の性欲に関して鈍すぎるおめでたい男たちと次から次へと関係を結んだ。私のことを好きと言ってくる男たちに対して、あなたと同等の存在は複数いるのだと告げた。男はそれでも引き続き私と寝る。それで真に鈍感で愚かであるところの私はようやく、男たちが「好きだ」という言葉とともに私に擦りつけてきたものが何であったのかを自分に知らしめることができた。そのときになってようやく、私は自分で男たちの言うことを納得することができた。この人たちは、やりたい、と素直に言えないのだ、と分かった。やりたい、と素直に示すことが、相手を不愉快にさせることであり、同時に自分の価値を低くさせることであるからして、やりたい、とは間違っても口にしない。あなたが好きです、と相手に好意がある風を装って、また自分でも無自覚のうちにそう思い込むことで、自分の性欲を相手にも、自分にも、肯定させるのだ。それが私が19歳の時に得た結論だった。私は死に損ない、そのあと恋人に出会い、そうして彼を手ひどく裏切り、また一人になった。

 私がくだんのインド人とチャットをしながら考えたことは、彼が私のこれまでの行いを知ったら何と思うだろうか、ということだった。つくづく、私は人に言えないことをしてきてしまったと、これまでの行いを後悔した。インドで倒れたとき、私は病院に運ばれ、点滴を受けた。その際、点滴の針を刺すから動かないようにと誰かが押さえていた私の右腕には、数えきれないほどの切り傷がある。それから、帰国後、病院に行って同じように採血を受け、点滴を受けた。そのとき、私は微妙な顔をして、おもむろに左腕を差し出した。看護士と思しき人に、「こっちの腕にしてください」と言った。看護士は当然のように笑顔を崩さなかった。真っ白い蛍光灯の規則的に並ぶ天井を眺めながら、私は、自分の愚かしさを改めて思った。