2012年12月25日火曜日

12月24日 「苦役列車」に乗る

 高田馬場の早稲田松竹にて「苦役列車」見る。クリスマスイブに名画座で一人で「苦役列車」なんて、きっと館内はガラガラで、同じく暇を持て余した映画好きの同士とともに静かにひっそりと個人的に映画を愉しめて、なかなか渋い良い選択じゃないかと一人で悦に入っていたが、チケット売り場に人が並んでいるのを見て面食らう。「苦役列車」「ヘルタースケルター」の二本立ては立ち見も出るほどに混んでいた。早稲田松竹は名画座の名に似つかわしくなく小綺麗で立派な映画館だった。

 どうせつまらないんだろうと思っていた「苦役列車」は、これが案外、とても良かった。もちろん私が原作者の西村賢太好きであり、主演俳優の森山未來好きであることで幾らか評価に下駄を履かせてしまっている感はあるが、期待していなかった分だけより面白かった。何よりも、直前のスタッフ名簿(というのか)で脚本がいまおかしんじさんであると知ったこと、顔は見るが名前が分からなかったAV男優さんが出ていたこと、家に帰ってから、その人の名前が花岡じったと言い、しかも在日朝鮮人二世であることが分かり、興味のあったことにさらに近づくことができた。単純に嬉しかった。鑑賞中、それぞれ一人で見に来ているらしい私の隣りの男女の鑑賞態度も良く、苛々させられなかったのもまた映画を見るのにとても助かった。

 この日はきっとすごく混雑しているであろうと、時間的な余裕がなかったこともあり我が心の聖地・新宿は素通りして地元の図書館のある駅で降りる。図書館の前にケーキ屋に寄りクリスマスケーキを買い求めるが、期待したいつものケーキは既に売り切れてしまったといい、この日のために用意したと思われる少し大きめのクリスマス仕様のケーキが三種類残っているばかり。今日、家にいる家族の人数に少し足りなかったのでとりあえず三つ求め、場所を移動して別なケーキ屋に行ってまた四つほど求め、手にずっしりと重い二箱のケーキを携えて図書館へ行き、予約していた本の受け取りと、年末年始の休みのために貸し出し期間が延びるであろうことを当て込んでいつもより多めの冊数を借りて帰る。写真は撮り忘れたので一個もない。

 帰路、むかし好きだった人のことをちくちくと思い出し、その人の動向をネットで追えてしまう現状を呪う。もう二度と会えない、もうどこにいるかも分からなければ潔く諦めることもできるのかも知れないが、名前や所属などで検索すれば今どこで何をしているかすぐと分かってしまう、またその相手が意図せずとも自らの現状と交友関係とを全世界に向けて発信しており、私のように執念深いネットストーカーはただその情報を拾い集めて相手の現在を割りに現実のそれに近い形で推測することができてしまう、その現状がありがたくもあり疎ましくもある。見えなければ、知らなければ思い出すこともないのに、見えてしまう、知ることが簡単にできてしまうので、気になってしまって仕方がない。だけれども深追いするのは危険だし、後戻りするのも嫌だし、何より根本的にこの問題は私の「寂しい」という素直で手に負えない感情に由来する、いつもの自己愛がねじれこじれ自分で自分の首を絞めている状態がもたらしているもので、それを解決しようと安易に見知らぬ他人の体温を求めるほど私は若くも純情でもない。

 家に帰ると丸焼きの鶏を父が買い求めていてびっくりし興奮する。さらに大きい机のうえに置いてあった「映画が愛したソウルのロケ地」という本を見つけ、これは何かと父に問うと、父の古い友人で先に私も箱根で挨拶をしたTさんの奥様が犬の散歩がてら届けてくれたのだと言う。Tさんは韓国で大学の先生をしている人で、私が自分の仕事のことも絡めながら、韓国映画が好きでいつか韓国に行きたいと思っている旨のことを箱根で話したとき、「君にぴったりの本があるからあげる」と言ってくれたのだった。これはそのときの口約束を忠実に果たしてくれて、今日、私の手許に届けられた。びっくりした。嬉しかった。今日一日の行動を振り返って手帳に書き付けていると、今日という日がそういえばクリスマスイブであることに思い至って、ああこれはクリスマスプレゼントなんだと思うとより一層うれしさが増した。お礼の連絡をしなければと思いながら先にネットの日記に書き付けてしまっている辺り私の無精な所が出てしまったが、しかしお礼をしなくては。

 東大門で工事が進められているザハの「デザイン・プラザ」は来年に完成すると聞いている。それも見たいし、何よりギドクの事務所まで行って韓国語で「私は日本のあなたのファンです。日本にはあなたのファンがたくさんいます」と言いたい。もちろんそれは非現実的な絵空事の理想の話だが、それくらいの気持ちが「アリラン」を見てから芽生えた。無理解に傷つき怒るただの繊細な人間かと思いきや、やたらと自己愛が強く自己評価の高い、自分が大好きで自分を受け入れてもらいたくて仕方がない、だけれども現状その欲求が通っていないからとてつもない不満足を覚えている、とても傷つき易い、しかも食べ物に例えるならばらっきょうみたいな顔貌をしている五十男が、私はやっぱり好きで好きでたまらない。

 現実世界で韓国の話をすると、やはり、どこか、白眼視されるような気がしているが、やっぱり建築にしろ映画にしろ面白いものは面白いのだ。そうして私は在日朝鮮人と呼ばれる人達に特別の興味がある。理由はよく分からないが、とにかく興味がある。だから今日、あの強面の体格のいい男優さんが花岡じったさんというお名前で、しかも在日であるということが分かって、とても気分が良い。

 気分が良いついでに来年のアピアの友川かずきライブも予約してしまった。映画を見たり旅行に行ったりするとお金がどんどん消えていくのだが、でもそうしなければ自分の内側に濁って動かない澱の中から聞こえる後悔と絶望のような声に抱きすくめられて本当に可笑しくなってしまう気がして、とにかく興味のある気持ちのいい方を目指して走っていきたい気分でいる。

2012年12月24日月曜日

私は失語症になった


 人と、話をする時、相手の望むように、反応している。それが普通だし、べつに何とも思わない。そういう人はたくさんいるのだろうし、多かれ少なかれ、きっとみんなそうなのだろうし、だから何とも思わない。

 人の顔を見るのが辛い時がある。それは、自分が相手の望むような顔を作れないから、相手が、私を見て、その目に心配の色を浮かべるのが分かるから、相手の心遣いや心配が、鬱陶しくしか思えないから、人と一緒にいるのが、辛い時がある。

 長らく日記から遠ざかっていたのは、自分が愚かであるとよく分かったことと、自分の愚かさをひけらかして周囲に迎合している愚かな人間が嫌いだと思ったことと、このままでは自分がそいつらと同じになってしまうという危惧を抱いたからで、ではどうすれば良いか考えると、自分の撮った写真を載せて自分の頭の中を見せようと思った。私は失語症になった。


 私は失語症になった。その代わり、誰もいない所で一人で喋るようになった。喋る中身は、こうあってほしい理想の中の自分が、こうあってほしい理想の中の相手と理想の会話を交わしているのだった。するとたまらない幸福感を覚える、というのは大げさで、まあまあの満足度を覚える。鏡の中の自分に向かって笑みを泛かべ、偽物の感情をふりまいてみる。自分が頭のなかの理想を一人きりでみじめに再現していることに自覚があるので、自分を狂人とは思わない。私は少しもおかしくなんかないし、きっとそう思って過ごしている頭の悪い人間はごまんといるのだろうと思うと、私はまた自分がいっそうつまらない人間になってしまった気がして言葉を発するのが嫌になってしまう。


 百万回も言う。私は相手の気持ちが分かる。百万回も言う。私はあなたの気持ちが分かる。百万回も言う。私はあなたに同化できる。私はあなたの望みを体現することができる。だけど私の才能はそれだけだったのだと、ようやく気付いた。才能と呼んでいいのかどうか分からない、もちろん私と同程度の能力のある人間もきっと私の知らないだけで沢山いるのだろうが、だけど私の狭い狭い世界の中にはほとんどいないから、敢えて大言壮語してしまう、才能と言い切ってしまう。私はあなたの心が分かる。だから人と一緒にいるのが苦痛だ。ある意味で、人に対して、機械的作業、機械的対応になってしまう。相手の望むままに作動するソフトマシーンと化してしまう。そうしてそれを相手に気取られないように取り繕う程度の優しさを持っている。気遣いなんて少しも持ち合わせていない愚鈍な人間であると一生懸命に示そうとしてしまう。つまり装った鈍感さを私の本性であると他人に思い込ませようとしてしまう。そうしてそれはある程度、成功する。ほとんどの人は私を何も考えない鈍感な人間だと思ってくれる。馬鹿で阿呆でおちゃらけた鈍いだけの人間だと思ってくれる。私が心の中でそいつらを何と思っているか私の目を見て探らないでいてくれる。私の目の色が揺れないと信じ込んでくれるお前らこそ鈍感さの塊以外の何であるか、と、私が心密かに毒づいていることなど考えもしないでいてくれる。そういう鈍感さを私は心底から尊敬し大切にしようと思う。失語症なのによく喋る。

 私は、役割を与えられれば頑張ってそれなりにこなしてしまう。だけど何の役割もない私は、鏡と向き合って一人で自分の表情を確認しながら、理想と夢物語の嘘話を現実に引きずり出してきて一人で喜んでいる、とても頭の弱い人間である。

 答えの出ないことは考えない。ある時までそれは思考停止で、私はそれを忌み嫌っていた。答えの出ないことは考えない。そう自分にいい聞かせながら、だけどそんなんじゃ駄目だと思っていた。ある時を過ぎた私は、ほとんど完璧な諦めを手に入れたように思う。「答えの出ないことは考えない」「考えるだけ時間の無駄だ」「時間は有限である」「貧乏人も金持ちも天才も気違いも怠け者にも勤勉なる者にも一日は二十四時間しかない」「だから何も考えない」「死がいつか必ず私を止めてくれる」誰のうえにも平等に流れる時間と、誰の身にも必ず降り注ぐ死が、私の妄想と空想で爆発しそうな頭を優しく撫でて冷やしてくれる。死がいつか必ず私を止めてくれる。だからなにも考えない。なにも考えないで済む。


 私は井の中の蛙です

2012年12月2日日曜日

12月2日 大森のからっぽ

 パク・チャヌク特集を見るため、初めてキネカ大森に行く。もう幾度か見た「復讐者に憐れみを」をもう一度みる。最初に見たほどの衝撃はなく、思っていたほどの思い入れもなくなっていた。緑色の頭の優男はとてもかわいいが、今回は残虐描写ばかりが目についてしまった。中身を知っている映画だと、次にどんなシーンが出てくるか分かるので、どうしても頭の中にある記憶をなぞらえるような見方になる。それは自分の記憶と答え合わせをしているようで、のめり込むというより、次は何だっけ、と先んじて思い出すことに神経を遣ってしまう。つまらない映画に2時間を費やすのはどうしようもなく苦痛だが、知っている映画の答え合わせに時間を遣うほど、私の時間は無限にないと思ってしまった。韓国映画を立て続けに2本みる元気もなく、その一本だけ見て映画館を出、大森という街を散策してみる。

 昼餉が食べたくて入ったベルポート大森の天井に、度肝をぬかれる。空腹と残虐描写でくたびれていた心が、少し弾んで写真を撮ってみる。







 狙いをつけていたのはインドカレー屋かセルフうどん屋なのだが、客の誰もいないことにたじろいでしまい、インドカレー屋を諦めてセルフうどん屋に入る。釜玉とかぶっかけとかいう名のうどんの内容が、いつもよく分からないが、名前に惹かれて、また自分で作ることもできないので、しばしば頼んでしまう。そうして揚げ玉未満の天かすと少し乾いた長ねぎ、生姜とそこに用意されていたトッピングを全部まぶしてみて、これで良いのかな、といつも思う。釜玉や温玉に代表されるうどんに私が戸惑いを覚えるのは、そこに何がのるものか判然としないからだ。それでも食べられれば良いだろうと大雑把に肯定し、食べ始める。くずれた玉子と天かすと生姜が絡んだ全体にきつね色の有耶無耶を口に運び、咀嚼して飲み込む。うどんは、もしかしてあんまり噛まないのかなと疑問を覚えながら、ずるずる食べる。そばよりうどんが好きだ。

 腹が張ったので散歩に出る。大森から海が見えるはずだ。地図を確認して京急線は大森海岸駅の方へ歩く。風が冷たい。道路が広い。そして平たい。しかも真っすぐ伸びている。街の中にほとんど起伏が見られない。大通りを一本逸れた細い道でも、大通りに対して道が垂直に、ずっとまっすぐ向こうまで続いていて、その細い平べったい道に対して唐突に、垂直に背の高いビルが建っている。不思議な感じを覚える。私の育った街は、細いくねる見通しの悪い道ばかりなので、その通りの向こうまで見渡せる景観に違和感を覚える。海が近いのだと納得する。山がないから、平べったい敷地に広い面積の建物が建て易いのだろうと推測する。第一京浜の海側に渡ると、かすかに磯の香りがした。

初めてみた平和島競艇場



キネカ大森 来週から3月までキム・ギドク作品を上映するようだ。