2013年11月3日日曜日

生きていて良かった

 友達が欲しいな、と初めて思った。自分の気持ちを誰かと分かち合う。それって、すごく大切なことだったんだな、と初めて分かった。

 私は、誰かを馬鹿にしたり見下したり蔑んでばかりいた。私は、少しばかり他人の気持ちが分かるので、他人を馬鹿にしきっていた。私は、少しばかり他人の気持ちが分かり、またそれに合わせて自分を消すことができたので、誰も私のことなど分かってくれないと恨んでいた。自分で自分の存在を上手に消し去っていたのに、誰も私の隠蔽工作に気が付かないことに、どこにも自分の痕跡がないことに、どうしようもなく深く傷ついていた。他人を喜ばせるにはどうすれば良いか誰に聞かなくても何でも分かったのに、どうか、誰か私に気付いて欲しい、という自分の幼稚な心底からの欲求には、つい最近まで、気が付くことができなかった。

 気が付いてみれば、ずっと重石を置いてあふれでないようにしていた過去の自分の本心を探ってみれば、それは「分かってほしい」というあまりにも安易で安直で、だからこそ切実な子供の欲求であった。

「悲しかったんだよね」
 ある日、自分に言ったことがある。泣きたかったんだよね、あのとき。すごく怖かった、つらかった、嫌だった、気持ちが悪かった、助けてって言いたかった。誰かに、助けてって、言いたかった。でも言えなかった。あまりにも幼くて、あまりにも何も知らなくて、何が何だか分からなくて、ただ自分の存在だけが悪いのだと思った。「私がいなければ良かった」「私なんていない方が良かった」そうしてそれを口にすれば周囲の大人を悲しませ、あるいは苛立たせ、あるいは傷つけ、あるいは疲れさせることを知っていたので、悲しい、という感情すら飲み込んでしまった。誰も嘘と見破ることの出来ないとびきりの笑顔を作ってしまった。「何にもなかった」と言ってしまった。「大丈夫」と言ってしまった。その笑顔を見抜けなかった周りの人のことを、恨んでしまった。憎んでしまった。どうして私に気付かないの。私はこんなに泣いているのに。

 結局、子供の私が言いたかったのは、それだったのだ。誰かに、気付いてほしかった。十代の私が言いたかったのも、それだったのだ。子供の私を抱え込んで、体だけは大人になってしまった、大人の真似事もうまくできるようになった、だけど心の底に、大声を出せないように細い紐を自分で自分の首に何重にも巻き付けてしまった大過去の私を殺しきれずにしまい込んでいることを、誰かに気付いてほしかった。もう少し大人になって、そんな自分の欲望をいつまでも持て余している自分に恥ずかしさを覚えて、さらに隠蔽が上手になってしまった。結局、過去も、大過去も、自分の気持ちも、欲望も欲求も、何もかも隠し誤摩化し見せないことが当たり前になって、何を見つけて何を分かってほしいのだかも分からなくなって、もうこのこんがらがった自分そのものすべてを受け入れてもらうことを相手に望み、そのあまりの過大な要求に相手が怯むことを知っていながらわざとやってみせ、必要以上にそうして大々的に、相手を加害者に、自分を被害者に、自らそのような役回りになるように仕立て上げてしまった。相手に「性欲の捌け口として私を必要としている悪い男の人」というレッテルを貼らないでは、相手が私を受け入れないことの理由として自分を納得させることが出来なかったのだと、今になって分かった。本当は、きっと普通に私を必要としてくれた男の人だったかも知れないが、自分が「受け入れてもらえない」ことの理由として相手を悪者にする必要が、そのときの私にはどうしてもあった。相手が私を性的にのみ必要とするように、意識的・無意識的にそのように差し向けてしまい、結果として男の人に自ら体だけを提供しておきながら、相手がそれを受け入れれば深く傷つき、「誰も分かってくれない」という思いをいっそう強め、性欲の塊のくせしてその自覚がないなどと相手に悪態をつき、罵り、そうして誰かに何かを望んでは手に入らないことの繰り返しに疲れ果て、最初から何も望まないという安易で平坦で、だから何も失わない代わりに何も得ることのない、のっぺらぼうの空っぽの関係性の中にだけ安息を見いだし、だけどまだ「悲しい」という正気を捨てることができず、自分の行いのお粗末さに心底から寂しく情けなく哀れになって、やっぱりこんな自分なんか誰もいらないのだ、こんな自分なんか私にもいらないのだと自分で自分を精神的・肉体的に積極的に抛棄することが止められず、その一方で、あまりにも過大な要求を相手に突きつけてしまう自分自身を恐れ、嫌悪し、このままでは本当に取り返しがつかなくなるまで自分も相手も追い詰めてしまう、そうして最終的にはいつもと同じ、もう堪えられないと手を離されてしまうと恐怖し、どうすればもっと人と適切な距離が取れるんだろう、と根本的な生き方の改善を考えはじめたのがだいたい25歳の頃で、私はその時に、過去の自分のことをもっと受け入れなくちゃと少しずつ思い始めていた。

 そのあと、色々なことがあって、また自分も順調に歳をとり、悲しいのは自分だけではなかったと分かって、ようやく、周りの人のことが許せるようになった。この世で自分だけが可哀想で、自分だけがみじめでみすぼらしくて、自分の大過去だけが取り残されてそのままになっていると思っていた世間知らずな私も、周りの人は、自分ほど口に出さないだけで、実は深い悲しみや後悔があるのだな、ということがようやく分かってきて、そうしたら、自分の悲しみが、薄らいでしまった。そうか、どうしようもないことって、あるんだなと思った。そうか、悲しいことって、たくさん、あるんだなと思った。実はみんな、子供の頃の自分を深く抱え込んでいて、そうしてそれはきっと、私の家族も、私の周りの人も、恐らくは、私が悪役に仕立ててしまった男の人達それぞれにもきっとみんな、どうしようもない悲しみがあったのだろうな、という気付きによって、私の過去への執着は急速に薄らいでしまった。自分の悲しみをこれでもかと開陳せずにはいられなかった自分の幼稚な欲求にもようやく恥ずかしさを覚え、日々の生活の忙しさの中にかまけて、自分の気持ちを記すことを、必要としなくなってしまった。

 思い出したくて、思い出せなかった。悲しいことを、その真ん中にあった本質を、思い出せなかった。辛くて苦しくて、だけどそれが言えなかった。その苦しみのすべてを、忘れるように望まれた。いや、正確には「忘れるように望まれた」ように感じて、それを自分に課してしまった。誰も望んでいなかったことを、私が自分に望んでしまった。「何もなかった」と言い張ることを、笑顔を見せることを、自分に望んでしまった。それが全部、悲しかった。そのことを思い出して、自分に、「悲しかったんだよね」と言った。そうしたら、びっくりするくらい、気が済んでしまった。結果的に、良かったのかどうか、分からないが、ほとんど書きたいことも言いたいことも、なくなってしまった。

 私は歳をとっていって、悲しいこともたくさんあったけれど、自分のことが、前よりも好きになれるようになった。人生は、短い。人生は、悲しい。人生は、思い通りにならない。だけど、すごく深い喜びがある。そのことが分かるまで生きて来られて、本当に良かった。あのとき死ななくて、諦めなくて、自殺に失敗して、本当に良かった。そう思える日が来て、本当に良かった。

 今まで、拗ねて、馬鹿にして、人とうまく接することができなかった。だけど、これからは好きだと思える人を見つけて、その人と友達になりたいな、と思えるようになった。とても低くて当たり前すぎるくらい当たり前の感情かも知れないけれど、自分がこんな健康的な感情を持てるようになったことが、驚きの対象で、そうしてそのことが、本当に嬉しい。