新木場のSTUDIO COASTで開催されている「JAPAN JAM 2012」に、姉の代わりに行く。出演者のほとんど誰も知らなかったが、向井さんが出ると聞いて行くことを決めた。
向井さんは、星野源という人とセッションしていた。遠目に見ると森山未来くんに見える星野さんは、かわいらしくて、歌もうまくて、いろいろを作れる才能があって、とっても今どき風で、だから何だか引っかからなかった。私は向井さんや友川かずきのような泥くさい、どこまでいっても鬱陶しくしつこい感じしか受け付けないようだ。「Water Front」から始まり、「透明少女」や「IGGY POP FUN CLUB」などナンバーガールの名曲を久しぶりに聞き、なんか夏だなあ、という感想を持つ。
初めてナンバーガールを聴いたとき、私は17歳だった。学校をサボって行く場所が図書館しかなかった。東電OLに関する本を探して読んでいた。冷凍都市も透明少女も全部自分のことのように思っていた。夏だった、冷房の風邪が意地悪に冷たかった、どこか湿って黴臭いベッドに横たわってうすピンク色の天井を見ていた、自分はどこにも行かれないという不能感と、望めば何だって手に入れることが出来るという誇大妄想の万能感に取り憑かれて覆いかぶさられて引き裂かれてほとほと参っていた。20歳になるまでに死んでしまおうと思っていた。若くて馬鹿だったが、はっきりした意志を持っていた。何も知らなかったから、自分に迷いがなかった。苦しかったけれど、いまほど窮屈でもなかった。苦しいなりに何だかひりひりするような切実さがあった。あまりなにも省みることがなかったせいだろう。自分のことをだけ考えていれば、自分のことだけで悩んだり苦しんだり悶えたり落ち込んだりしていれば、それで事足りた。あのときのことを思い出した。
向井さんの曲はよく「思い出」が出てくる。思い出す。思い出を抱いている。「記憶」や「記録」も多い。今ここの実感ではなく、今から手を伸ばして触ることのできない「過去」と「思い出」と「記憶」に興味の対象が絞られている。それが好きだった。私もあのとき自分の「過去」と「思い出」と「記憶」に取り憑かれていた。あのときのことを思い出していた。
久しぶりに「おとうと」に連絡を取ろうかな、と思ってやめる。「おとうと」は私のなかでまさに冷凍都市のイメージそのもので、「おとうと」といると私は「性的少女」になることができた。でも私は途中で、自分が「透明少女」でもなければ「性的少女」でもない、もちろん「東電OL」でもない、私では、主人公になれない、ことに気が付いてしまった。それまで自分が持っていた思い上がりが心底恥ずかしくなって、冷凍都市から始まるそれらのイメージから遠ざかっていた。「私では主人公になれない」過剰な自意識しか持ち合わせのない私にその現実は痛かった。でも現実は現実で、私は主人公になれなかった。
「おとうと」と会って話してみたら、一晩くらいはその気分を味わえるのだろうが、やっぱり途中で現実が見えて、この先に道の続かないことが見えて、落ち込んで死にたくなってしまうので、現実に立ち戻って、「おとうと」に連絡は取らなかった。意味不明の日記になる。
向井さんの番が終わって会場を出ると、見事に晴れていた。
向井さんは、星野源という人とセッションしていた。遠目に見ると森山未来くんに見える星野さんは、かわいらしくて、歌もうまくて、いろいろを作れる才能があって、とっても今どき風で、だから何だか引っかからなかった。私は向井さんや友川かずきのような泥くさい、どこまでいっても鬱陶しくしつこい感じしか受け付けないようだ。「Water Front」から始まり、「透明少女」や「IGGY POP FUN CLUB」などナンバーガールの名曲を久しぶりに聞き、なんか夏だなあ、という感想を持つ。
初めてナンバーガールを聴いたとき、私は17歳だった。学校をサボって行く場所が図書館しかなかった。東電OLに関する本を探して読んでいた。冷凍都市も透明少女も全部自分のことのように思っていた。夏だった、冷房の風邪が意地悪に冷たかった、どこか湿って黴臭いベッドに横たわってうすピンク色の天井を見ていた、自分はどこにも行かれないという不能感と、望めば何だって手に入れることが出来るという誇大妄想の万能感に取り憑かれて覆いかぶさられて引き裂かれてほとほと参っていた。20歳になるまでに死んでしまおうと思っていた。若くて馬鹿だったが、はっきりした意志を持っていた。何も知らなかったから、自分に迷いがなかった。苦しかったけれど、いまほど窮屈でもなかった。苦しいなりに何だかひりひりするような切実さがあった。あまりなにも省みることがなかったせいだろう。自分のことをだけ考えていれば、自分のことだけで悩んだり苦しんだり悶えたり落ち込んだりしていれば、それで事足りた。あのときのことを思い出した。
向井さんの曲はよく「思い出」が出てくる。思い出す。思い出を抱いている。「記憶」や「記録」も多い。今ここの実感ではなく、今から手を伸ばして触ることのできない「過去」と「思い出」と「記憶」に興味の対象が絞られている。それが好きだった。私もあのとき自分の「過去」と「思い出」と「記憶」に取り憑かれていた。あのときのことを思い出していた。
久しぶりに「おとうと」に連絡を取ろうかな、と思ってやめる。「おとうと」は私のなかでまさに冷凍都市のイメージそのもので、「おとうと」といると私は「性的少女」になることができた。でも私は途中で、自分が「透明少女」でもなければ「性的少女」でもない、もちろん「東電OL」でもない、私では、主人公になれない、ことに気が付いてしまった。それまで自分が持っていた思い上がりが心底恥ずかしくなって、冷凍都市から始まるそれらのイメージから遠ざかっていた。「私では主人公になれない」過剰な自意識しか持ち合わせのない私にその現実は痛かった。でも現実は現実で、私は主人公になれなかった。
「おとうと」と会って話してみたら、一晩くらいはその気分を味わえるのだろうが、やっぱり途中で現実が見えて、この先に道の続かないことが見えて、落ち込んで死にたくなってしまうので、現実に立ち戻って、「おとうと」に連絡は取らなかった。意味不明の日記になる。
向井さんの番が終わって会場を出ると、見事に晴れていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿