2017年1月15日日曜日

Living Well is the Best Revenge

 復讐している。あるいは復讐されている。過去の自分から復讐されており、現在の自分が続いてこれからの自分に復讐している。復讐を、しているのか、されているのか、分からなくなる。許せない。何が? 憎む相手を間違っている。いや、憎む相手は間違っていない。憎しみを発露する相手が間違っているのだ。では直せ。正当な相手に憎しみを発砲しろ。発砲して撃ち殺せ。積もり積もった憎しみを弾丸に乗せて集中砲火、蜂の巣にしてしまえ。
それで、それで、どうなるんだろう。その人が謝ってくれるのか。償ってくれるのか。慰めてくれるのか。その人が痛々しさを見せてくれたら、自分の怒りは収まるのか。そのどれも私は欲しくない。どれも、どれも、どれも、全く、欲しくない。では私は何が欲しいのか。私が、欲しいものは、何か。
目をつむって、一人で、横になって、静かに考えた。私の欲しいものは、何か。
私の欲しいものは、眠ること、不安から解放されて、暑さや寒さや苦しみや恐ろしさから解放されて、何も考えず、何も気にせず、ぬくぬくと守られて、安心のうちに疑いや負い目を見出すことなしに、眠ること。

そしてそれは絶対に手に入らない。

「よく生きることが最良の復讐」なのだとしたら、私は誰に、何のために、復讐しているんだろう。復讐が終わった先に、何があるんだろう。


2016年7月31日日曜日

お父さん

 私は、この人とは和解をしたけれど、あの人とは和解をしていなかった、ということに、気がついた。私は、この人のことは許したつもりだったけれど、あの人のことは「そのままに受け止めなければいけない」という重圧を自分にかけて、しかもそのことに気がついていなかった。あの人のことを憎んだり恨んだりするのはいけないことだ、あの人に感謝しなければいけない、だってあの人は素晴らしい人なのだから、あの人にだって良い所もあれば悪い所もある、だってあの人も人間なのだから。私は、無意識のうちに、あるいは意識的に、自分にそう言い聞かせていた。自分が子供の頃、あの人から望まれたことは、到底、子供の自分にできることではなかったのに、到底、子供の自分の至らなさを認めて許してくれる態度ではなかったのに、到底、自分が子供で、それゆえ未熟であることを、許して受け入れてくれるものではなかったのに、大人になった私は、あの人も私も、人間なのだから、至らない所があって当然で、それを拡大顕微鏡で大きく見て、わざわざ気にするなんて、と、自分自身の行為と行動を批判している。あの人は、私を、許さなかったのに。

いつも、そう思う。いつも、ここまで書くと、涙が出る。憎みたいわけではない。恨みたいわけでもない。謝って欲しいことでもない。それどころか、時間が元通りになることはないのだから、いつまでも昔のことに拘って覚えている自分に、嫌気がする。そんな細かいことばっかり気にして、とあの人に言われるのではないか、と予想してしまい、その予想に気持ちが参ってしまい、何も考えないように、思い出さないように、恨まないように、私は過去を蒸し返したいわけでは、私はあの人を傷つけたいわけでは、私はあの人を否定したいわけでは、私はあの人を尊敬しているのに、そう思ってしまう。

過去の自分について思い出すと悲しくなるから、思い出さないようにしていた。悲しい、という気分に引きずられて、いらないことまでどんどん思い出されて、それで辛くなってしまうから、自分がいかに不幸で、いかに可哀想で、いかに自分を傷つけ、どうやってそこから生還してきたのかをまで、思い出して、現在の自分に感謝の涙を流すところまでやらないと、満足できなくなってしまって、その姿を他人の目で眺めると、恐ろしく不気味なので、過去のことを思い出すことは、あまり良くない行為だと思っている。過去の悲しみに浸ると、幸せだったこと、嬉しかったこと、褒められたこと、肯定されたことなどが湖の底ふかく沈んで見えなくなってしまって、不幸で悲しくて辛くて可哀想な私ばかりが浮かんできてしまう。違う、本当は、私の過去はそんなに悲しいことばかりではなかったのに、私はそんなに不幸ではないのに、必要以上に、自分で自分を、不幸に仕立て上げてしまう。だから、あまり、過去を思い出したくはない。

私は、どうしたいんだろうと考えた。私は、どうすれば満足なんだろう。何がどうなれば、あの人のことを恨んだり恐れなくて済むんだろう。何がどうすれば、私はあの人の顔色をうかがったり、一度も直接的にかけられたことのない、でもいつでも自分で勝手に予想してくたびれてしまう、あの人の期待にそえない自分を責めることを辞められるんだろう。どうすれば、私はあの人に評価してもらいたい、と思うことを、辞められるんだろう。どうすれば、私はあの人に肯定されたと感じることができるんだろう。どうすれば、私は、あの人は私を見捨てる、という思い込みから抜け出せるんだろう。どうして、私はいつも、あの人から見捨てられることを、勝手に恐れているのだろう。

そこまで考えて、怒りが喉から吹き出しそうになった。叫び声をあげそうになった。だってお前が私を見捨てたんじゃないか。あのときも。あのときも。あのときも。あの時も、あの時も、あの時も。いつも私のことを否定したじゃないか。批難したじゃないか。私を駄目だと言ったじゃないか。私を悪いと言ったじゃないか。私のことを責めたじゃないか。お前がいけない、だからお前は駄目なんだと言ったじゃないか。私はずっと頑張ってきたのに。ずっと頑張っているのに。まだ、ずっと、今も、頑張っているのに。頑張り続けているのに。あと、どうすれば良いの。あと、どうすれば良い。どうすれば認めてくれる。どうすれば、私のことを好きになってくれる。どうすれば、私を、好きになってくれる。
私はただ、お父さん、あなたから愛されていると、実感したいんです。

2016年6月20日月曜日

自己を振り返る

 自分のことを省みる機会が多い。振り返って考えてみるに、私は父親に似ており、その父親の評価が家族内で高くないと知り、驚く。お父さんのことを尊敬していたのは私だけだったのか、という驚きと、薄々感じるようになってきた、年老いてきた両親の重み、寄りかかられる鬱陶しさ、疎ましさ、子供の頃の恨みを未だに持っている幼稚な自分と、それを律する「大人の自分」がいる。

 思うことは、相も変わらず「何も考えたくない」ばかりだ。

 家族と話していて気付いたことは、私は他人にまるで興味がないし、自分のこともどうでも良いのだった。私は、それで良かった。それでいいと思っていた。全然気にしていなかった。だけど、これから他人と関係を築いていこうとするとき、それは大きな障壁となって立ちはだかる。少しでもその他人との間に問題が見つかると、私はすぐとその他人を手放してしまう。その他人に、私が何を問題だと思っているのか、何を嫌だと思っているのか、どういう解決方法を望んでいるのかを相談することもなしに、その関係自体を、手放そうとする。手放すことにもちろん痛みはある。私だって悲しいと思う。寂しいと思う。こんなはずじゃなかった、もっと仲良くできるはずだったのに、と思う。だけど、私の頭の中に、まるで自動的に、絶対唯一のものとして、「付き合わない」が設定されていて、私はそれしか選べない。
 他人にどうやって自分の意思を伝えれば良いのか、それ以前に、そもそも、「自分の意思」とやらを「伝える」ということにすら思い至らない、私には何か重大な欠陥でもあるのだろうかと自分で勘ぐってしまうほどに、私は、他人と、関係を築けない。

 それで良いのだ。それで良かったのだ。他人なんかいらないし、人付き合いなんかどうでも良いし、友達も欲しくないし、正直、寂しいと思ったことは一度もない。私はそれを普通だと思っていた。私の普通は他の人とずれているけれども、それでもこれが私にとって普通だ、と思っていた。でも、分かった。友達がいたことがないから、「友達といて楽しい」という思いもしたことがないし、だから寂しくもなかったのだ。「友達」について喜んだことがないから、失ったこともない。だから「友達」がいなくて悲しむこともないし、当然、寂しさなんか覚えようがない。経験したことのないものについて、思いを巡らせようがない。食べたことのない料理について感想の述べようがないように、聞いたことのない言語でもって、会話することができないように、知らないものについて、知りようがない。知らないものについて、後悔しようがない。惜しみようがない。それを得たことがないのだから、それについて、良し悪しを述べようがない。

 私には友達がいない。それは事実であるし、多分これからも変わらないだろう。友達とは、どうやって作るのか、相変わらず分からないし、何をして一緒にいるのかも分からないし、どう接すれば良いのかも分からない。安易で安直な手段として、同性とはお喋りを、異性とは体の関係を結ぶことしか私には分からないし、時間のかかるお喋りはくたびれるから好きではない。というわけで、私は異性とは簡単に結びつき、そしてそれに何の意味もない。私は、空っぽか。

2016年4月28日木曜日

Let me be alone

 気になる人がいて、突き離したり擦り寄ったりを繰り返している。その内、本当に呆れられて拒絶されるのではないかと恐れている。しかしそうやって早く拒絶してもらった方が、お互いのためになるのではないか、とも思う。

私は、甘えている。

私には、いなくなる癖がある。その人と一緒にいられない、と思うと、そしてその場からの帰り道が自分で分かっていると、追いかけてくる人を振り切って逃げ出してしまう。過去に一回、最近に一回、物理的にその場から逃げた。外国や土地勘のない場所で一人で逃げ出せないときは、黙りこくる。貝になる。何も話さなくなる。目を合わさなくなる。自分の殻にこもる。それは、自分としては、これ以上は状況を悪化させないために、「一時停止」しているのと同じなのだ。いま、私、停止している。いま、口を開いたら、本当にひどいことを言う自信がある。私は、あなたの心を抉る、自信がある。だけど、言いたくない。傷つけたくない。喧嘩をしたくない。衝突したくない。少し黙っていれば過ぎることだから、いま以上に悪くしたくないから、少し抛っておいてほしい。何も、考えたくない。何も、話したくない。誰ともいたくない。そういう態度が相手を傷つけることも知っているけれども、私、いま、何も、できない。あなたの期待に、応えられない。望まれる態度を、見せられない。エネルギーが切れた。だから、私に、関わらないでください。

そうやって逃げ出しておいて、あとで簡単に後悔して、すぐと連絡を取って、もう一度やり直すことを了承された途端、もう嫌になっている。もう嫌だ。何もかも。


2016年4月9日土曜日

日本に戻った Take 2

 相変わらず、おじさんが好きである。理由は簡単だ。私はファザーコンプレックスの気があり、しかし実際の父親と寝るほど自分の家族を壊すつもりもないので、代わりとなるおじさんが必要なのである。何が、なのである、なのか分からないが、要するにおじさんが好きだ。おじさんが欲しい。そしてそれは手を伸ばせばすぐそこにある。だけど相も変わらず、おじさんは家庭持ちであって、そうだ、そういうことはやめようと思ったんだ、と思っていたのに、結局、手を伸ばしかけている。そこに始まりはない。そこに続きはない。おじさんとの関係に発展はない。ハッテンはない。では何があるのか? 何もない。妊娠の心配のない性行為と、適度に厚みのある良い匂いのする体と、薄くなってきた頭髪を掻き分けてかぐ頭の匂いと腋下の匂いと、そういうものしかない。若い男の子の嫌がるそういう行為を、おじさんは喜んで受け入れてくれる。それは、おじさんにとって私の役割が性処理でしかないからだろう。若い男の子は私を恋人と目して、これからの関係の発展に努めるため、そんな自分の自信のないところの匂いをかがれるのが嫌なのだろう、と私は推測する。だけど、私は、それがしたい。あんたに望むものなんか何もない、と、心の中で思っている。男の人に望むものは、体以外なにもない。だからちゃんと体が欲しい。いい匂いのするそれが欲しい。喉から手は出ないが、それが、私の生活に、欲しい。でも手に入れたところで、始まらない。おじさんは人のものであって、おじさんには仕事と家庭があって、私はその一時の気休めでしかない。

「セックスできるお父さんが欲しいな」

私がおじさんの好きなビデオの中の女の子の代替品であると同時に、おじさんも私の手に入らぬ憧れの代替品なのである。何が、なのである、なのか。欲しいものをいつも考えるけれど、欲しいものは、いつも、ない。いつも手に入らない。だから考えない。それにしても私は歳をとった。

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家族に良くないことがあり急ぎ帰国した。日本のSIMカードを久しぶりに差し込むと、やはり毎月一回、どこかからの非通知着信があった。

The National Rail Museumの中にあったかわいいご意見表。

2015年12月31日木曜日

日本に戻った

 新年のために日本に戻った。日本のSIMカードを挿したら、日本の私の携帯電話の番号に、8月から毎月一回ずつ非通知で電話がかかってきていた。私に電話をかける人は誰か考えたけど、分からなかった。
 インドにいる間、私はインドの電話番号を持っており、日本の電話番号を使えないので、ご用の方はメールなどで連絡ください。
dog.the.binary.system@gmail.com
 そしてまたすぐインドに戻ります。日本は家族がいるから楽しい。だけど私はインドにいたいと、改めて思った。

会いに来てくれた家族とジョードプルへ




大学の学生選挙で大量のビラが撒かれていた
ダラムサラからデリーに戻るバス乗り場の夕日
寮の敷地内に咲くブーゲンビリア(と思う)

2015年12月5日土曜日

To be lost

 憎んでいる。恨んでいる。無意識にでてきた言葉はこれだった。私は、まだ、恨んでいる。

 すぐと涙があふれた。嗚咽が続いた。息がしづらいくらいしゃくり上げて、ああ、こういうことをするからいけないんだ、とまた別の心で思う。男の人と映画を見ていた。別の言語だったから分からなくて、その人が顔を近づけて小声で解説をしてくれた。私の左の膝小僧とその人の右の膝が、触れ合っていた。私の肩とその人の肩とが、触れるか触れないか微妙な距離で暗闇の中に並んでいた。

 急に息苦しくなった。すぐと気持ちが悪くなった。息ができない感じがする。呼吸をしてるのに、おなかのなかに息が入って行かない。呼吸をしてるのに、どこか違うところに空気が吸い込まれて行って、私はすごく苦しい。気持ちが悪い、ここを出たい、気持ちが悪い、息ができない、と私は訴え、席を立った。歩こうとしたらふらついて、その人が手を取ってくれた。今までにちゃんと手を使ったことのある、何らかの労働や行為によって実際に使われてきたことで、生活の実際的な知識を持っている、きちんとシワと肉と厚みのある、ふっくらとした手のひらで、温かさを感じた。つまり、私は呼吸困難のために手や足の先が冷たくなっていた。

 手を引かれて映画館の階段を降りる。支え合っている部分が手だけだとふらつくので、今度は肩を抱かれる。ときどき腰や背中も触られる。「さあ、こっちです、大丈夫、私がいますから」知ってます、ありがとう。言葉にならないので心の中で答える。ときどき、私のこの不調は、何なのだろうと思う。まるで自分から誘っているみたいじゃないか。あるいは、相手に付け入る隙を、格好の理由を、それとはなしに与えているみたいじゃないか。違う、そんなことは望んでない。でもそんなことになっても良いかな、と思う自分もいる。頼まれたら、断らない。断れないのかも知れないし、断らないのかも知れないし、自分でもよく分からない。そもそも、もはや頼まれもしなくなってしまったが、頼まれたら、まあ、良いかな、と思う、この性的な主体性のなさの正体は、いったい、なにか。

 このところ、人と話をしていると、自分の見識の狭さにびっくりさせられる。相手は、私の極端さに、びっくりしているらしいが、私は自分を極端だと思ったことはない。それがつまり私の極端さの証拠であり、思い込みの激しさの証拠であり、頑固さの、生真面目さの、心配性の、潔癖さの、完璧主義の、何よりの証拠であるように思われた。

 会社を辞める前、上司から、その極端さと正直さと真っ直ぐさを何とかしないと、周りの人が疲れちゃうよ、と言われたことがある。あなたは真っ直ぐで真面目、正直で正しい、でも正しさだけでは世の中は回らない、いつも正しさを振り回していると、周りの人を傷つけることもある、疲れさせることもある。もう正確な言葉は覚えていないのだが、そんな内容だったように思う。

 私は混乱した。正しくないのなら、何を信じれば良いのか。正しいものを共有できないのなら、私は何を価値基準とすれば良いのか。はっきり言って、本当に、相当に、混乱した。だからそのまま聞き返した。「じゃあ、私はどうすれば良いんでしょう。何を基準にすれば、どう話し合えば、どう言えば、良いんでしょう」上司は困った顔で、ほらね、だから周りが疲れちゃうんだよ、と言った。どうして「周りが疲れちゃう」のか、どうして答えを教えてくれないのか、どうして非難するだけで、私を嗤うだけで、私の問いに答えず、そしてそれが「悪くないこと」なのか、私には分からなかった。どうすれば良いんだろう。「どうすれば良いか、分からないんです。自分が正しいと思ったことをやっているだけで、それの何がいけないか、どうすれば良いか、本当に分からないんです」

 分からないことだらけである。他人の気持ちが、分からない。どうしてそんなに大雑把に考えられるのか、分からない。どうしてそんなに適当に考えられるのか、分からない。どうしてそんな曖昧さを許せるのか、分からない。徹底的に、分からない。分からないから、考えるのをやめた。分からないから、関わるのをやめた。「友達」と友達のふりをするのをやめ、必要なもの以外は一切関わるのをやめ、残ったのは家族と恋人と映画館と本屋と、つまり生活の範囲がそれのみになって、私の生活はとても快適になった。これで誰からも文句を言われなくて済む。あの「変わってるね」攻撃を受けなくて済む。もう傷ついたり疲れたりしなくて済む。私は私に満足している。私は私に満足していた。

 だけど、最近、人と話をしていると、私はなんて狭量な人間なのだろうと思わされる。私は嫌なことすべてから逃げ出した。それと関わる意味はないと思ったし、それを続けて得る利益と、それをやめることで得られる利益とを天秤にかけると、どうしたって続ける意味はないと思われた。私は私の価値基準に則って「正しい」判断をした。だけどそれが人を苦しめるという。それが人を傷つけるという。じゃあ、どうすれば良いんだろう。私は「私」が「傷ついて」も、「これを続けるべき」だったんだろうか。「私」の「判断」は「間違って」いたんだろうか。

「だから、それが堅苦しいんだよ。もっと気楽に考えて、答えを出さずに、曖昧にすることだってたまには大事なんだよ」

 たまにって、どのくらいの頻度なんでしょう、と聞きたいところを堪えて頷く。多分それを聞いたら、また相手は気分を害するだろうから。ほら、またそうやって基準を求める、と相手に言わせしめる格好の材料を与えることになるから、黙って、堪えて、頷く。

 私には、分からない。人の気持ちも、自分の気持ちも、分からない。「どうしたいですか」分からないです。「何でも、あなたの行きたいところ、したいことをしましょう」分からないです。男の人を喜ばせるのはものすごく簡単で、逆らわないことである。逆らわない、反論しない、黙って従う。相手の言葉の内から意向を読み取り、さも自然な本心であるかのようにそれを振舞って見せる。それが、私の持っているもっとも優れた能力であり、同時に、短時間しか使えない駄目な能力でもある。また、大抵の男の人の意向というのはほぼ全部同じなので、それに答えようとすると私は間違いなくその人達と寝なければいけない。でも、別にいい。正直に言って、どうでもいい。それは私にとって大したことじゃない。ただ男の人と寝たあとに、その人達がこの行為に満足したかどうか確かめたいだけである。「私」が「本当に」「その人の望みを満たせたのかどうか」を「確認」したいだけなのだ。私の関心はその人の眼球の黒眼に映る「私」でしかない。つまり自分のことしか考えてない。そしてそれを極端だと自覚できない。私の中でその一連の行為は矛盾のないものとして通用するので、それを極端だと批評されると、また考え込んでしまう。「どこが極端なのか」「何が極端なのか」そして「どうすれば良かったんだろう」

 私の不幸は、自分で答えを出せないことか。あるいは批判に弱く、開き直れないことか。誰もが納得しうる答えなんてない、というのは、正論である。そしてここでもまた正論に依拠していることに、批判されるのではないかと怯える。結局、誰からも嫌われたくないらしい。結局、誰とも事を荒立てたくないらしい。結局、みんなに良い顔をしていたい。でも二十四時間、自分を殺してご奉公するほどの根性もないらしい。結局、私はただの根性なしか。分からない。

 自己肯定感や境界性人格障害についての記事を読んでまた考える。自分をこの手のものに当てはめるのは簡単である。だけど問題は、原因ではなくて、私はそこから脱却したい、ということである。原因を求めるのは簡単で、私が覚えている一番小さい頃の苦い記憶にあるのだろう。十代の頃はその悲しい記憶で苦しんだ。向精神薬をのむようになって、それまでも曖昧で心許なかった記憶がさらに信用のおけないものとなり、そのうちにその記憶自体が本物かどうか自分でかなり疑わしくなってしまい、思い出して悲しむことが煩わしくなった。トラウマなんてこんなものである、という諦めの境地である。

 書いていて鼻血が出たのでここでやめる。結局、私は、何がしたいのか。インドに来て、会う人みんなに、このあとどうするのかと聞かれた。答えられないでいると、「じゃあ、何でも思い通りになるとして、お金の心配も何もいらないとして、何でもして良いよって言われたら、何がしたい?」と聞かれた。そんなことは考えてもみなかった。そして改めて考えてみても、やっぱり「分からない」。何でもして良いと言われたら、透明になりたい。誰にも見られたくない。誰とも関わり合いになりたくない。本当はものすごく接触に飢えているくせに、私の願望は「消えたい」なのだった。