2016年4月9日土曜日

日本に戻った Take 2

 相変わらず、おじさんが好きである。理由は簡単だ。私はファザーコンプレックスの気があり、しかし実際の父親と寝るほど自分の家族を壊すつもりもないので、代わりとなるおじさんが必要なのである。何が、なのである、なのか分からないが、要するにおじさんが好きだ。おじさんが欲しい。そしてそれは手を伸ばせばすぐそこにある。だけど相も変わらず、おじさんは家庭持ちであって、そうだ、そういうことはやめようと思ったんだ、と思っていたのに、結局、手を伸ばしかけている。そこに始まりはない。そこに続きはない。おじさんとの関係に発展はない。ハッテンはない。では何があるのか? 何もない。妊娠の心配のない性行為と、適度に厚みのある良い匂いのする体と、薄くなってきた頭髪を掻き分けてかぐ頭の匂いと腋下の匂いと、そういうものしかない。若い男の子の嫌がるそういう行為を、おじさんは喜んで受け入れてくれる。それは、おじさんにとって私の役割が性処理でしかないからだろう。若い男の子は私を恋人と目して、これからの関係の発展に努めるため、そんな自分の自信のないところの匂いをかがれるのが嫌なのだろう、と私は推測する。だけど、私は、それがしたい。あんたに望むものなんか何もない、と、心の中で思っている。男の人に望むものは、体以外なにもない。だからちゃんと体が欲しい。いい匂いのするそれが欲しい。喉から手は出ないが、それが、私の生活に、欲しい。でも手に入れたところで、始まらない。おじさんは人のものであって、おじさんには仕事と家庭があって、私はその一時の気休めでしかない。

「セックスできるお父さんが欲しいな」

私がおじさんの好きなビデオの中の女の子の代替品であると同時に、おじさんも私の手に入らぬ憧れの代替品なのである。何が、なのである、なのか。欲しいものをいつも考えるけれど、欲しいものは、いつも、ない。いつも手に入らない。だから考えない。それにしても私は歳をとった。

————————————————————————————

家族に良くないことがあり急ぎ帰国した。日本のSIMカードを久しぶりに差し込むと、やはり毎月一回、どこかからの非通知着信があった。

The National Rail Museumの中にあったかわいいご意見表。

0 件のコメント:

コメントを投稿